●『ほしのこえ』と『トップをねらえ!』についてのテキスト(「相対性理論的な感情」)を書いていて、そういえばこれらはそれぞれ、この夏話題の『君の名は。』『シン・ゴジラ』の監督の一作目なのだなあと気づいた。
ほしのこえ』が2002年で、『トップをねらえ!』は1988年。『トップをねらえ!』にはユングフロイトというすごい名前の、アスカの原型のようなキャラクターが出てくるのだけど、彼女はソ連から来たという設定だ。まだソ連があった時代のアニメを、今改めて新鮮に感じながら観ているということは、27歳になったキミコが、まだ17歳のままのノリコに出会った時の感じに近いのだろうか。
●この日記(おそらく一昨日)を読んだという人から、岩波書店の「思想」2009年12号に、エリー・デューリングによる「持続と同時性---ホワイトヘッドベルグソンにおける時間的パースペクティブと相対論的時間」という長めの論文が載っているとメールで教えていただいた。
(これはぜひ読みたいと思うのだけど、地元の図書館では「思想」をとりあつかっていない。アマゾンではけっこういい値段がついている。「日本の古本屋」にはない。岩波書店のウェブから注文したら売り切れだ、と……。県立図書館まで行ってコピーをとってくるしかないか。)
●引用、メモ。『「ファインマン物理学」を読む』(竹内薫)より。
《通常の弾丸(=粒子)の場合は、確率Pだけで話が済んだ。それが、われわれの「経験世界」そのものであり、その背後に隠れている「別の世界」なんてものは存在しない。単純明快な「一重の世界」。」
通常の波の場合は、ちょっぴり二重構造になっていた。それは、最初に波の高さhがあって、それを2乗すると、はじめて「強度」が計算できたからだ。強度というのは「確率」といいかえてもかまわない。なぜなら、仮に波に乗るサーファーがいたとして、彼女が砂丘のどこに到達するかは、計算された波の「強度」に比例するからである。
そこで電子(=量子)の場合なのだが、波の高さに相当する「確率振幅」φ(ファイ)なるものが登場する。確率振幅を2乗すると確率になるのだ。しかし、この確率振幅は、波の場合とは少々事情が異なる。なぜならば、われわれは、最終的な確率は「実測」できるが、大元の確率振幅のほうは測ることができないからだ。》
《よろしいでしようか? われわれが測定することができるのは、確率だけなのだ。確率は、0.3(=30%)とか0.01(=1%)というような「実数」の値をとる。これは測ることができる。
ところが確率振幅φのほうは、複素数なので、直接観測することができないのである!》
(複素数とは、実数+虚数によってあらわされる数。虚数とは、2乗するとマイナスになるような数。)
《この「直接は観測できない複素数φの世界」が「直接観測できる実数Pの世界」の背後に隠れている。
そして、この奇妙な複素数φが電子を記述しているために、電子は自分ひとりで干渉を起こしてしまうのだ。
複素数φは、波の高さに相当する。
だが、われわれは経験として波の高さを測定することができるが、経験世界の背後に隠れているφのほうは、直接は測定することができない。
電子の波動性、つまり「干渉」効果は、この隠れたφの世界で起きている。》
《なぜだか誰も知らないが、この宇宙は、背後に隠された確率振幅φという複素数の世界によって動いていて、われわれは、そこから計算される(実数の)確率Pしか観ることはできない。》