●今更感ありありの話ではあるけど、ネットワーク理論の話を読んでいて、成長する複雑なネットワークはほとんどどれもランダムネットワークではなくスケールフリーになるという話はやはり衝撃的ではある。スケールフリーというのは要するに、グラフにするとごく少数の極端なお金持ちと、それ以外の大多数の貧乏人に分かれる、あのロングテール的な形になるやつ。自然に成長し、自己組織化するネットワークは必然的に、極端に多くのリンクをもつ少数のノードと、それ以外のごく少数のリンクしかもたない大多数のノードとに分離し、いわゆる中間層というのがほとんど生じない。
昔、ある種の生物学者が生物の構造と社会構造をパラレルにみて社会のあり様を語ることが(科学者の安易な哲学みたいにして)批判されたりしたけど、あれは、生物の構造はこうなっているから、きっと社会もこうなっているでしょう(あるいは、こうなった方がいいでしょう)という話だったけど、これは、インターネットのリンク構造も、人間同士の性的な関係のネットワークも、生物の神経細胞の接続も、調べてみたらじっさい皆同じ構造をしていたという話(しかも、成長と優先的選択によって「そうなる」根拠も説明できるという話)だから、かなり違う話だ。
これを短絡的に鵜呑みにするならば、平等や民主主義はきわめて困難であり、ましてやアナーキズムの夢などかないっこないという話になる。宇宙も社会も人間も、ランダムネットワークではない。全体の動向は、ごく少数のハブの動向に大きく左右され、それ以外の大多数がどう行動するかにはあまり左右されない。少なくとも「自然」にしている限りは。勿論、これは静態的な話ではなく、ある強力なハブが急激に衰退し、それに代わって新しいハブが急成長するかもしれないのだが(空気がハブをつくるのか、ハブが空気をつくるのか)、メンツが入れ替わったとしても、スケールフリーという構造そのものはかわらない。常に、少数のハブの動向が大勢を決める。あまりに常識的というか、なんて退屈な話だ。
とはいえ、この死ぬほど退屈な構造がどの程度の強さで我々を縛っているのかはなんとも言えないのではないか。もしかすると、この退屈な法則は絶対的で、この宇宙にいる限りそこから逃れられないのかもしれないし、もっと別の退屈ではない法則があって、そっちが強く効いてくるという局面もあるのかもしれない。だがどちらにしても、この退屈な法則がそうとう強く我々を縛っていることにはかわりはなさそうだけど。
(これを「退屈だ」と思うことそれ自体が、あまりに人間的な感情でありすぎるのかもしれないけど。)