●高円寺のグリーンアップルで「レトリカ」のイベント。
http://tweetvite.com/event/rhetorica_live
●会場で『現代思想』と『レトリカ』を買う。
●帰ってから、『ゴーストの条件』(村上裕一)『七夕の国』(岩明均)『REAR』24号を注文した。
石岡良治さんとはじめてお話した。
●行き帰りの電車のなかでは『ケインズの逆襲、ハイエクの慧眼』(松尾匡)を読んでいた。思弁的実在論に関するイベントの行き帰りにリフレ派の本を読んでるとか、なんと今っぽいことか(松尾匡をリフレ派と言っていいのか分からないけど、少なくとも親リフレ派とは言えると思う)。
●帰りの電車が三十分近く止まった。
●24日の日記で引用したツイッタ―での清水高志さんの発言は、その前の部分も引用しておかないと文脈がよく分からなくなることに気付いたので、さらに引用させていただく。だから、次の引用の最後が、24日引用の最初に繋がる。
ハイエク今西錦司の対談本、あれこれ中断が入っていたがまた読み始める。。ハイエクはこの中でオイゲンとブレッシュが、分子の形成にすら一種の選択的進化が存在すると論じていることに触れている。》
《ピエール・レヴィの『ヴァーチャルとは何か?』の「ダーウィン的機械」の節では、脳神経系の発達にダーウィン的機構(?)が見いだされるという論者がいることに触れている。。進化という問題を、これらは非常に拡張した意義で捉えているわけだが、もう少し考えてみる必要があるな。。》
ハイエクは、共同体を有効に機能させる規範やルールをもった集団が、競争において有利になり、そのルールごと台頭してくる、という形での進化思想を持っている。。》
《この規範ないしはルールは、集団を成立させる媒体ないしはオブジェクトだが、こうしたオブジェクトを介して、集団も変化するし、また集団はこうしたオブジェクトそのものを改良、進化させることが、ここでは前提となっている。》
《この発想から、規範やルールがゆったりと自己を保存する洗練された一種の保守主義の思想にハイエクは到達する。規範やルールがその主体性や能動性をもつことを、グラデュエルな変化の緩慢さや着実さという観点から捉えるわけだ。》
《これに対し、今西は変化が事後的に見いだされることの意外性を強調する。。話は当然噛み合わないのだが、どちらもオブジェクトに能動性や主体性を与えたいという点では一致する。今西の場合、オブジェクトは行動規範なのか環境そのものなのか、まだ曖昧ではあるが。》
《少し話は変わるが、マラブーがかつて柔軟性や可塑性について述べていた議論も、ハイエク的な「緩慢さの評価」につながるものだと思う。柔軟性の過度の評価は、グローバルなんたらという戯れ言に明け暮れる目下の大学行政の混乱とまさに分離できない問題だ。》