●夏アニメもそろそろ終わりに近づいているけど、「ああ、これが終わっちゃうのは寂しいなあ」と一番強く感じるのは『電波教師』で、この作品が面白いかと言われれば、そんなに面白くはないし、途中でけっこうだれたとさえ思うのだけど、12話完結で凝縮されたものばかり観ていると、たまには、ほどよく弛緩した、24話分だらだらつづくという感じが好ましく思われるというのもあるし、なんといっても主人公の鑑純一郎というキャラにとても愛着を感じてしまっている。ぼくにとって、好きなアニメキャラの第一位が『シュタインズゲート』のダルなのだが、鑑純一郎は第二位くらいの位置につくのでは…、というくらいに。
(鑑純一郎は、生徒を「顔面パンチ」「ポテト」「変則ツインテール」「オプション付き」など、即物的で換喩的なあだ名で呼ぶ。メガネをかけた優等生を「メガネ」と呼ぶのが換喩的で「博士」と呼ぶのが隠喩的であるとすれば、あだ名の多くは隠喩的であろう。換喩であるとしても、「メガネ」には、あらかじめ「知」や「勉強好き」「体が弱い」といったコノテーションが貼り付いている。だが鑑は、換喩であっても、かなり関連性の低い、偶発的でほぼ比喩とならないくらい遠い接続によって名付ける。たとえば「ポテト」は、イモっぽいという隠喩では勿論なく、メイドカフェでバイトをしている生徒で、メニューのポテトにメイドとして「美味しくなる魔法」をかけているところをたまたま見て感心したところから、そう名付けられる。彼女はメイドで地下アイドルなのだが、そのようなわかりやすい属性があっさり無視されるのもおもしろい。「顔面パンチ」は、初対面の時にその生徒から顔面パンチをくらわされたことからきている。つまりこれらのあだ名には、一対一の関係の固有性-偶発性が刻まれていて、一般性がない。イコン、シンボル、インデックスで言えば、インデックス的なあだ名というか。そういう感じがぼくには好ましい。)
●「下セカ」は、ここ二話くらい、ちょっとテンションが落ちているように思う。おそらく、「蒸れた布地」というあきらかな(しかもセコい)「悪」が出てきてしまったので、SOXが正義の組織みたいに振る舞わざるを得なくなって、今までの、複雑で多様な関係性から生じる緊張感(によるコメディ)が、正義と悪の二元論に塗りつぶされてしまったからだと思われる(善導課も含めた三つ巴ではあるのだが、実質的には二つの勢力の争いになっている)。ヒロインも、下ネタを連発するだけで、それ以外はとてもまともな人みたいになってしまって(演説とかも、ふつうにまとも過ぎてあまり面白くない)、最初にあった、人を唖然とさせる(平然と置いてきぼりにして突っ走る)生き生きした躍動感が少なくなってしまっている。
(ヒロインが――生徒会長とは違って――狂気と欲望の人ではなくむしろ倫理と矜持の人なのだということはわかるのだが…。しかし、単純な「喜び」から発せられていたはずの「下ネタ」が――正義の方が主で――義務的に付け足されるもののような感じに近くなってしまっているように思われる。下ネタそのもののテンションは落ちていない――たとえば狸吉が常に腋と股間を洗っているとか――と思われるので、これはやはり関係の構造が単純になってしまったことが原因ではないかと思う。)
「あきらかな悪」が目の前にある場合、人はどうしたって正義として振る舞わざるを得なくなって、それが人から活気や精気のようなものを奪うのだなあという教訓を得られたという意味では、つまらなくはないと言えるが。