NHKのBSで『Particle Fever』というCERN(欧州原子核研究機構)が舞台のドキュメンタリー映画を放送していた。2007年のLHC稼働直前から、2012年のヒッグス粒子発見までの五年間、それにかかわる六人くらいの理論物理学者、実験物理学者の動向を追ったもの。さすがに登場人物たちのキャラがそれぞれとても立っていた。
LHCの稼働には成功したものの、本格的な実験に入る前にすぐにトラブルにみまわれて、設備の修理に一年以上かかってしまい、実験はお預けになる。前半は、その間の、主に実験施設にかかわる人たちの動向を追っている。後半になって、とうとうLHCが動き出して、ぽつぽつ結果が出始める。もしヒッグス粒子が観測されたとして、その質量の数値によって、「超対称性」派か「多宇宙」派か、どちらかの優勢が決まってしまうことになる。つまりどちらかがはっきり「間違い」ということになる。この事実に対する、それぞれの派に属する理論物学者たちの期待と不安というか、心の揺れが捉えられる。
(科学の特徴は、答えが一つしかなくてそれ以外は間違いだという強い排他性にあって、そこに到達することだけが重要で、だから科学に努力賞や健闘賞はない、と言う科学者や、もし自分の立場が間違いならば、30年の研究生活のすべてが無駄ということになってしまう、と言う科学者が映し出される。)
そしてついにヒッグス粒子が観測される。で、スーパーシンメトリーとマルチバースのどちらが勝ったのか? 結果は、どちらとも言えないような絶妙な中間的数値だった、と。ドキュメンタリーなのだけど、まるで人が書いた物語のようになっている。
(放送では、副音声として村山斉による解説がついていて、それもよかった。)
ヒッグス粒子の存在が確認されたということは、物理学の標準模型の完成であり、二十世紀の物理学の完成と言えるとのことなのだが、しかしそれは同時に、それが既に過去のものとなったということでもあろう。ヒッグス粒子が「あった」ということで標準模型は完成するが、今後、そのヒッグス粒子が具体的にどのような性質を持つかによって、標準模型は修正されるかもしれないし、否定されるかもしれない。
ヒッグス粒子の質量が、超対称性も多宇宙も、どちらも完全には否定しないが、どちらも積極的に支持はしないという、なんとも気持ちの悪い数値であったということが、ホラー映画で、モンスターが絶滅してめでたしめでたしと思っていたら、隠れて一匹だけ残っていてにやっと笑う、みたいな、終わらないラストシーンみたいな感じ。
ここで描かれている人たちは、この世界で最も浮世離れした超エリートたちだと言える。選び抜かれた特別に頭のいい人たちが、この社会にとって何の役にも立たないことを、一生懸命になって、しかも大金をつぎ込んで追及しているということを、社会が許容し、支持している。こういう状況が成立しているという事実が、ぼくには、人間に対して持ち得る数少ない希望の一つであるように思える。
(たとえばヒッグス粒子は、軍事的にも経済的にも、現時点ではまったく何の役にも立たないからこそ、利害対立がなく、オープンで国際的な協力体制が成り立っているというのはあるだろう。学者間の激しい競争や権力争いとかはあるだろうけど。)