●渋谷でVECTIONISMの会合。帰り際に、展覧会でローマに行っていた柄沢祐輔さんから聞いた話。ヴァチカンの美術館にはモダンアートのコーナーもあって、キリスト教にまつわるモダンアートの作品が展示されているのだけど、そこにフランシス・ベーコンの「法王」の絵があって爆笑した、と。それアリなのか。いや、分かって受け入れているとしたら懐が深いと思うけど、どうなのか。
●寝る前に、呑みながら岩田慶治botを読む贅沢。
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《世界ぜんたいが眼と眼からなり立っているのである。わたしの眼に世界が映り、世界の眼にわたしが映っている。「尽十方世界の角々尖々」どのような細部、どのような尖端もすべて、世界のことごとくが「瞿曇の眼処なり」、つまり、わたしの眼球に直接触れあっているのである。》
《からだと風景がぶつかる。そのとき原風景が誕生することがある。》
《そこは、そしてそれを見る知は、出逢いの衝撃のただなかに成立する。卒啄同時の場とそれを見る眼といってもよい。内側と外側から殻が同時に突き破られて、二羽の鳥が同時に誕生する。親と子が同時に生まれる。そういう場所がこの世界のいたるところにある。》