浅田彰さんによる、メイプルソープ講義の動画、「メイプルソープ再考」。一通り話が終わって、ほぼ終わりに近いところで、雑談に流れはじめたところが特に面白かった。これを聴いて、メイプルソープの作品に対してはじめて納得を得た。
https://www.youtube.com/watch?v=CW3YzXpNroI
当時、メイプルソープがよく行っていたゲイのSMクラブではマインシャフト(鉱山の穴=直腸)と呼ばれる、いわゆるフィストファックプレイが行われていた。肛門から直腸に手首まで突っ込む。これは非常に難しい、下手をすると死んでしまうような行為なので、慎重に、ゆっくりやっていく。勃起とか射精とかの快楽とは関係なく、ほとんど宗教儀式のように大勢が見ているなかで行われる。緩慢な、しかしコントロールされた苦痛を、みんなが儀式のように分け合う。
エイズで死ぬということはどうでもいい。エイズでなくても、あんなことを続けていたらいつかは死んでいる。ハードなプレイなので少しの間違いで死ぬ。ぼく(浅田)の知人も何人か死にました。死んでもいいんです。死に至る悦楽に身を捧げるという人たちがいる。そのなかにメイプルソープという人がいた。そして、八十年代のニューヨークは荒み切っていた。今からは想像がつかないかもしれないが、昔は本当に汚くて怖かった。そういうところで、死ぬか生きるかのギリギリを、無防備に生きていたのがメイプルソープだった、と。
●浅田さんは、メイプルソープに会ったことはなくても、八十年代ニューヨークの、エイズクライシス下にあったゲイ・コミュニティの感じは知っていて、その様が具体的に話されることを通じて、メイプルソープの作品に対する触れ方が少しわかった感じがする。当時は、おそらく今よりもずっと性的なマイノリティに対する差別や抑圧は強かっただろうし、ましてや、エイズクライシスのただ中にある。そしてニューヨークという場所そのものも荒れていた。そのようなニューヨークのゲイコミュニティで、飛びぬけて過激で危険な悦楽に身を捧げる人たちがあり、そして、そのような人たちは社会から虐げられる存在だった。そういう背景のなかから、メイプルソープのあのような作品が生み出される。そして、そういう背景から生み出された作家が、八十年代のアートの世界(=お金持ちたちの社交界)でスターのような存在に祭り上げられ、お金持ちたちをひれ伏せさせる。このような背景や文化的逆説まで含めて(美貌のアーティストがパートナー=パトロンによってひっぱり上げられることも含めて)みることではじめて、メイプルソープの作品に対して、なるほど、そういうことなのかと思うことができた。物語的に納得したというより、イメージへの触れ方がちょっと分かったという感じ。ということで、アトリエでメイプルソープの作品集を、おそらく十年以上ぶりに観返していた。
メイプルソープが日本に来た時、伊東順二(『現在美術』の人)がふんどしバーに連れて行ったら、機嫌が悪くなって「This is not hard enough」と言ったというエピソードが面白い。