●保坂和志「こことよそ」(「新潮」2017年6月号)。保坂さんの小説にサチモスが出てきた。
この小説は、明るさとか幸福についての小説でもあると思った。そして、その明るさや幸福は過去のもので、思い出すことによって改めて気づくようなものだ。それは八十年代という時代の明るさであり、そして、二十代という年代の明るさだ。そしてその想起を促すのが「尾崎」という人物の死だ。この小説は「尾崎」についての小説と言ってもいいくらいだ。しかし、「尾崎」についての小説であるにもかかわらず、「尾崎」についてそんなに多くは語られていない。「私」と「尾崎」とはそんなに付き合いが深かったわけでもなく、頻繁に会っていたわけでもなかったから。でも、そのような「尾崎」の存在が、「私」に二十代の記憶との通路を通した。
この小説には「私」が「暗い青春三部作」と呼ぶ小説への言及がある(谷崎「異端者の悲しみ」安吾「暗い青春・魔の退屈」尾辻「雪野」)。どれも「世に出る前の鬱屈」が題材であり、それは保坂さん自身の(厳密には「私」の、だけど)「小説家になる(のにまだなっていない)」という時代の経験とも重なる。六十歳の自分からみれば二十代の自分は突き抜けて明るいが、それでも「重く晴れ晴れしないところがあった」のだと、谷崎全集の月報のエッセイにはそう書いた、と。
しかし、古い知り合いである「尾崎」が亡くなり、そのお別れの会の会場で映し出された映画(「尾崎」も「私」も関わっていた)を観て、その明るさや幸福は絶対的なものだったと感じる(この映画は長崎俊一監督の『九月の冗談クラブバンド』だと思われる、下の引用で「内藤」とは内藤剛志)。
《映画の主役格はそろっていない、尾崎もいないが映画が映し出される私は喜びがピークに達した、目の前で自分の二十三、四のあの時間が再現されているような気分になった、尾崎が映ってなくてもこれが尾崎のあのときであり私のあのときだ。映画はかつて暴走族のリーダーでいまは伝説となっている内藤をめぐる殺伐とした内容だが音のない映像だけを見ていると若くツルンツルンの肌でまだ幼いようなピンクの唇でしゃべる表情は、夢やあこがれを語っているようだ!(…)私はクッキーやライムや追さんや諏訪たちと、「若い」「若い」「内藤の体が薄い」「ツヤツヤだ」「ピカピカだ」とニャアニャア騒いでいただけだ》。
《私の幸福感はこの日に思っていたのよりずっと大きく、私は三、四日後内藤や長崎や出てくる夢をみた。》
「私」は、亡くなる前は尾崎のことを年に一度思い出すかどうかという感じだったのだが、死んでからは様々なことを思い出す。その間、「尾崎」よりずっと身近につきあっていた人が二人亡くなったが、それでも思い出す(考える)のは「尾崎」のことだ。
そしてここで、ヴォーカルが「尾崎」と似ているということから、サチモスが出てくる。
《曲調は八〇年代ではなく九〇年代にちかいかもしれないが私は区別がつかない。あのバーからの海の眺めを思い出していると七〇年代にまでさかのぼる気がしてくるが七〇年代にこういう曲はたぶんなかった。何が八〇年代なのか定義も何もないがサチモスの音は八〇年代で、それは八〇年代の一番明るい記憶だけを私に響かせる。私の記憶ではなく八〇年代という記憶だ、サチモスを鳴らしながら八〇年代にアクセスすると明るい風景しかない。八〇年代を知らない二十代の若者たちだ、こういう音はこれまで聴いたことがない。》
サチモスの曲は八十年代というより九十年代的だろう。しかしここで重要なのは、サチモスの曲が「私」に、八十年代の「明るい記憶だけ」を響かせる、ということであり、それをつくり演奏しているのが、八十年代をまったく知らない二十代の若者たちだということだ。ほかの(もっと親しかった)人の死ではなく、「尾崎」の死こそが「私」に二十代の幸福を思い出させる。それと同様に、ほかの(八十年代に流行った)曲ではなく、サチモスこそが八十年代の明るさを響かせる。ただ、「尾崎」と「私」とは二十代の時に(深くはないとはいえ)関係があり、経験を共有しているのだが、サチモスは八十年代を知らないし、曲調が八十年代的でさえない。
だから、ここで「私」と「八十年代の明るい記憶」とは、ノスタルジーとは別の何かによって結びつけられていると考えられる。別の言い方をすれば、サチモスと結びついた(サチモスによって惹起された)八十年代の記憶の明るさは、ただ八十年代という特定の時代に結びつけられてあるだけのものではないということではないか。サチモスの明るさがどこか八十年代と通じているとしても、彼らはおそらくそれを八十年代的なものとは別のところから得ている。
(それはたとえば、「異端者の悲しみ」のラストで「唐突に文壇デビューが決まってしまう」という都合のよい出来事を無根拠に信じてしまえる明るさであり、その無邪気さを隠してもっともらしそうにしない明るさである、みたいなものに近い気もする。)
そして、現在、二十代であるサチモスのもっている明るさの力が、現在、六十歳である小説家の(未だ小説家ではなかった)二十代の頃の明るさと幸福とを記憶から響かせる。
小説の前半に書かれるように、実際に二十代だった時には、ただ明るく幸福だったわけではなく、重たく晴れ晴れしないものを抱えていると思っていただろう。しかし、「尾崎」の死や、残されたフィルム、そしてサチモスの曲は、実はその二十代こそが絶対的に明るく幸福であったのだということを、事後的に気づかせる、と。