●小鷹研理「HMD空間における三人称定位」(PDF)。すごくおもしろいのだが、このような研究と、「作品」に関する考察とを、うまくリンクさせるにはどういうことが必要となるのだろうかと考える。
http://www.jcss.gr.jp/meetings/jcss2017/proceedings/pdf/JCSS2017_OS03-4.pdf
これと併せて、小鷹さんが書いた「JOURNAL RECORDING:幽体離脱経験者は、自己身体にかかわる心的回転課題の応答パフォーマンスが高い。」を参照すると分かりやすい。
http://kenrikodaka-memo.tumblr.com/post/158332520447/journal
●この論考では、HMD(ヘッドマウントディスプレイ)によるVR空間で、その内部に定位されるのはわたしの「視点」のみであり、「身体」は現実空間に取り残されていると書かれる。「身体がここにある」という自明の感覚の成立には、一人称的な視点だけでなく、《無意識に作用しているであろう俯瞰的で内省的な三人称視点》が深くかかわっている、とされる。そして、このような「三人称視点モード」を考える上にヒントとなる現象として「幽体離脱」が注目される。
●ぼくがHMDVRを経験して最も新鮮だったのは、まさにこの「わたしがこの空間の中にいるのに、ここにはわたしの身体がない」という、他には夢以外で経験したことのない感覚だった。だからぼくには、ジェットコースターを模してトロッコが急下降するようなVRより、ドローンに360度カメラをつけてひたすら上昇するというようなVRの方に強い印象を得た。たんに、人の目線よりも高い視点で撮られた360度写真(静止画)でさえ、かなり興奮した。
だから、VRはまずは、体感的な臨場感を追求するのではなく(そこに「身体」がない以上、それは中途半端なものにならざるをえない)、「身体がない」からこそ経験可能な、夢のような感覚、夢のような運動感という方向を目指すべきなのではないかと思う。
●それはともかく。それ抜きでは「わたし」という感覚が成立できないという、「最小な要素群で成立するような自分の形態(MPS)」は、実験科学の知見からいえるのは、(1)ある特定の時空に定位しているという感覚と、(2)方向性をもった視点、の二つだあるとされる。つまりここには「身体」という要素がない。だから、「自分が空間のなかにある」という感覚と「自分の身体が空間のなかにある」という感覚は同値ではない、と。
●「わたしの身体」というためには、主体感と所有感が必要であるとも考えられる。わたしがわたしの身体をもっているという「所有感」を得るためには、身体をわたしがこう動かしている(主体性)=身体はこう動いていると感じられる(運動感覚)があることと、その感覚が、視覚的に得られる「動いている自分の身体」同期としていることという、二つの事柄があればいいと言える。逆にいえば、前者と同期している偽の視覚像を与えてやれば、偽の身体への所有感が生まれる。これを使ってVR空間にある偽の手を「わたしの手」だと思い込ませることは可能だ。しかしこの時、この「偽の手」が「手に似ている」必要があり、それが身体に似ていない像である場合、それを自分の身体と感じることができないという。
さらに、VR空間内に偽の手を「自分の手」だと感じたとしても、それはあくまで「部分的な身体」であって、自分全体を名指すような「身体」ではない、とされる。ただし仮に、全身のビジュアルをリアルタイムでキャプチャして正確に再現できれば、VR空間内部に「身体」を定位させられるかもしれないと書かれる。ただこの時、「わたしの主体感としての運動」がリアルタイムで正確に再現されるヴァーチャル身体が、「わたし」のものに似ている必要があるのかどうかに、とても興味がある。VR空間のなかで他者の身体に(ほぼ完全にと言っていい形で)定位することは可能だろうか。
●とはいえ、この所有感による身体の定位は、身体近傍空間でしか作用しないとされる。対して「主体感」は、空間を無制限に拡大できるとされる。
てんかん患者に対し、TPJと呼ばれる脳の部位に電気刺激を与えると幽体離脱に似た意識体験が誘発されるという。TPJは、《想像上の地点を起点とした時に周囲がどのように見えるかをイメージする三人称視点の空間操作》を行う時に活動が優勢となる部位であることから、幽体離脱が神経学的基盤をもつ現象であることが示唆される。
幽体離脱の特異性は、通常では同じ空間を共有している「視点」と「身体」が空間的に分離した状況にありながら、こちら側に定位されている「視点」も、あちら側で俯瞰されている「身体」も、同時に「自分」に所属しているという風に感じられる点にある。》
このような「わたし」が「そこ」にあるというような定位状況が「三人称定位」と呼ばれる。それは、カメラで撮影された自分がモニターに映っているのを認める、というようなことではない、と。
幽体離脱の経験者は、OBT(OWN BODY TRANSFORMATION)の実験の成績で優れている傾向がみられる。つまり「頭の中での空間操作」が得意である。これは、幽体離脱の経験のない者でも、空間的なシミュレーションのコストを軽減してやることで、幽体離脱経験の強度を高められるかもしれないという可能性を示す。
幽体離脱体験で広く共有される事実として、体験者の大多数が「上方から自分を見下ろす」経験として、それを体験している点がある。我々が、過去の記憶を視覚的に再構成する時、大抵の場合に俯瞰敵な視点を採用することと考え合わせると、これは普遍的な視点変換の特性に従っていると考えられる。また、健常者の幽体離脱体験の73パーセント、脳疾患に起因する幽体離脱の80パーセントが、「仰向け状態」で経験されるという。これは、三人称定位が「重力」の方向に対して特異的に作用している可能性を示唆する。
また、フル・ボディ・イリュージョン(被験者の前面にアバターを置き、アバターの背中と被験者の背中を同時に刺激すると、被験者は「目の前のそこ」に自分の身体があるという錯覚を起こす)の実験では、被験者を「仰向け」にして実験した場合、少なくない被験者(6/17)が、実際の状況(アバターが「上」にあるように設定されている)に反して、アバターを上から見下ろすような体験をしているという。
以上のように、三人称定位(幽体離脱)と重力(上から見下ろす)には密接な関係があると思われる。これはきわめて興味深い。