●用事で図書館に行き、書架をぶらぶらしていて目についてなんとなく借りてきていた米澤穂信の『リカーシブル』という小説を、なんとなく読んだ。米澤穂信の小説を読むのは何年ぶりだろうか(この小説は五年前に出たものだ)。
実に米澤穂信らしい小説で、ネガティブな諦観と屈折と皮肉に満ちながらも、全面的にだらしなくそちらに流れてしまわない理知的な抑制が常に保たれている。表面に出ているネガティブな調子が、潜在的なポジティブな強さによって支えられ、あるいは逆に、表面にある理知的な抑制が、かえってその背後で働いている感情の不安定さ(不定形さ)を予想させるといった感じの、絶妙なバランスで、作品全体として絶望と希望とが相殺されてゼロ状態になるという、米沢穂信的な独自の感触が味わえた。
すばらしい作品というのとはちょっと違うけど、非常に稀有な形で成熟した文化的な産物という感じで、とても味わい深い。表面の触感とは逆のものがその奥で常に働いていることを感じさせる文体というか、作風は、ちょっと他にはないものだなあと思う。中学生や高校生を話者として、この感じで書くということも、この独特の感じにつながっているように思う。十代だからこその、装われた(というより、否応もなく強いられた)老成感のリアルさ。