●「現実」としか言えない動かし難い何かがあり、自分がその内にあるということをわれわれは信じている(信じざるを得ない)。しかし、現実という概念は(多義的であったり、曖昧であったりするというより)開かれている---底が抜けている---ので定義できない(定義し切れない)。仮に、現実という語を定義することができたとしても、その次の瞬間に、その定義を超えた事柄が現実に起こってしまう(あるいは、明らかにされてしまう)かもしれない。
現実はリセットできないとよく言われるが、それは言い方が逆で、われわれは、リセットできないように思われる(信じられている)ものを仮に「現実である(虚構ではない)」ということにしている、ということではないのか。「リセットできない」は、何をもってそれを「現実(¬虚構)」と判断するかの基準(あるいは指標)のうちの一つであるが、その基準は経験的直観(あるいは経験的推論)とその共同的堆積による「信念」で、絶対そうであると言えるわけではない。
(この「信念」は非常に強く確からしいとは言える。)
もし、現実世界の全体が因果によって厳密に相互作用(相互規定)し合っているとすれば、その一部分だけを恣意的にリセットすることはできないだろう。しかし、そうだと言い切れるほどに「現実」について知っているわけではない(「現実」は定義できない)。
現実は、知らないうちに常にリセットされつづけているかもしれないし、世界は自分自身を忘れつづけているかもしれない(「レイン」「シュタゲ」「まど☆マギ」「ピングドラム」「君の名は。」など)。