●『ダーリン・イン・ザ・フランキス』をネットフリックスで観はじめた。まだ4話まで観ただけだけど、久しぶりに先が気になるアニメを観た、というか、アニメを観て久々におおっとなった感じ。
あからさまな下ネタ(性的な隠喩)の多用(しかもジェンダーバイアスかなりあり)と、あからさまな90年代ガイナックスアニメからの引用(流用)の多用で、その、あからさまさにちょっと引き気味になる(作品の構造があからさまに性的なのに登場人物たちがそのことにまったく無自覚という白々しさがすごい)のだけど、アニメとしてのクオリティはかなり高め。
なにこの「エヴァ」感は、なにこの「トップ2」感は、なにこの「フリクリ」感は、という感じで設定や細部において既視感が随所にあり(どちらかというと庵野っぽいというより鶴巻っぽい)、たんに90年代ガイナックスの今日的バージョンアップみたいな感じにもみえるのだけど、それだけでなく、それが下品なまでに「あからさま」になされていて(というか、あからさまなのに無自覚なふりをする白々しさを意図的に増幅させて演じている感じで)、あきらかに確信犯的にやっていると思うのだけど、それを「今やること」が一体「何に成り得るのか」というところが気になる。
これがほんとに面白いのかどうかはまだ分からないけど、このたくらみが一体とういう風に展開し、どういうところに行きつこうとしているのかということに、(現時点では)興味をひかれている。つまり、90年代ガイナックスを意識的になぞるようにはじまったものが、90年代ガイナックス的(あるいは榎戸洋司的)な展開や結末とどのように違う展開をつくり、違う結末を導くことが出来るのか(違う思考としてあり得るのか)に興味がある。この興味が最後まで持続するような作品であることを期待したい。