●他人の家で目覚めた(終電逃して、泊めていただいた)。外から障子越しにとてもきれいな光が射している。はじめて歩く、人の家から駅までの道。避暑地のような空気と光(陽が強く射してるけど暑くない)。国分寺だけど。
●ここ数日、すごく眠い。台風のせいで眠いのかと思っていたのだが、台風が去っても眠い。
●『輪るピングドラム』三話。ひまり七変化というか、キャラの「かわいさ」を強調する回なのか。ちょっと落ち着いてきて、お話的にはわりと普通の展開。とはいえ、今後、様々な方向へと展開可能な細部がちょこちょこと埋め込まれている感じ。あとやはり、物語の主な展開とは別に、ペンギンたちがちょこちょこと動いていたり、一つ一つの「見せる要素」の見せる「時間」が短かったりするので、手数が多いというか、色んな情報が多方向からフレームを横切ってゆく感じになっている(重要なアクションが省略されて、その結果だけが示される場合が多々あるのも、捕えがたさや「速さ」の印象につながっている気がする)。伏線というか、伏線なのかわからないけど、意味ありげな細部というのが、物語的というより視覚的に埋め込まれている感じなのも、手数の多さとして感じられるのかも。例えば、「生存戦略」の場面で、同様に受け答えしている双子のうち、何故か兄の方が片目を瞑っているカットがある、とか。
(りんごの部屋のなかを見ているのも兄だけだし、なんとかいうモデルの元彼だとか言うし、一見相似形でありながらも、ピュアな弟とあやしい秘密の匂いがする兄との格差はますますひろがりつつある。)
あと、何故、カレーの鍋に「もつところ」がないのか、とか、何故ひまりが怒こる場面で背景にタコが出てくるのか、とか、小さな違和感もかなり仕掛けられている。公園の遊具がぬいぐるみと同様に気になってくる、とか。
●「ピングドラム」に刺激されて、最近『トップをねらえ2』を観直したのだが、この時期のガイナックスはアニメ的な表現力の一つのピークだと思われる。それはたんに技術とか能力の問題だけでなく、この頃はお金もあったのだろうし、世界的に日本のアニメがイケイケだったということもあって、何というか、勢いとか気合いが違う感じ。とはいえ、最近のアニメはこの時期のガイナックスを頂点とするような、スケール的な拡大と密度の充実とが両立して進化しているような(どんどん「濃く」なってゆく)方向とはかなり違った方向へ行っている感じで、ぱっと見の印象では、視覚的な充実度では「ピングドラム」よりも「ウテナ」の方が上であるようにも見える。とはいえ、「ピングドラム」の密度は、ひとつの鍋でぐつぐつ煮詰めてゆく感じのもの(研磨され圧縮された情報が一気にガーッと押し寄せてくる)とは違って、ある一つのフレームのなかに(あるいはごく短い時間のなかに)、多方向へと向かう様々な種類の情報が拡散的に配置されているので、ある纏まりとしての圧縮的な密度とは違った、拡散的な密度とでもいうべき感覚が生じている。隙間はいっぱいあるのに、みっしりとしている、というような。それがある種の捕えがたい「速さ」の印象となってあらわれている感じ。
この感じはだから、「トップ2」よりも『フリクリ』の系列上にある感じだけど、しかし「ピングドラム」では、「フリクリ」的な拡散性と、「ウテナ」的な物語の構築性(と凝縮性)とを、同時に実現することが目論まれているのではないかと感じられる。「トップ2」も「フリクリ」も六話で完結していて、このような圧縮的、あるいは拡散的な表現は、がっつりと構築された物語を語るのには向いていないと思うのだが、「ピングドラム」はたっぷり2クール分つづくらしいので(しかも、「ウテナ」や「スタードライバー」のような一話完結方式ではないし)、その両立がどのように実現されるのかに、とても興味がある。