●新宿のジュンク堂で、青木淳悟磯崎憲一郎佐々木敦トークトーク中、青木さんが『私のいない高校』の元となった手記『アンネの日記 海外留学生受け入れ日誌』の本を聴衆に見せるためにリュックから取り出して、そのリュックを床に置いた時、リュックの口からノリを効かせたようにピチッとした茶色い封筒がポロリと零れ落ちて、それに目をとめた磯崎さんが何気なく拾って、これをどうしたものかと一瞬ためらう感じのあと、リュックのなかに戻しているのを見て、あ、きっとあれはアレだな、と思ったのだが、トークが終わってから磯崎さんと青木さんが、「さっきトーク中、青木さんのリュックから今日の謝礼が落っこちたんで、ちゃんと戻しときましたよ」「ええっ、ホントですか、全然気づきませんでした」という会話をしているのを聞いて、やはりあれはアレだったのだなと思った。
●青木さんとお会いしたのは三度目くらいだと思うけど、打ち上げの時、ほとんどはじめて直に話しができた(二言、三言、という感じだけど)。
青木淳悟の小説は青木淳悟にしか書けないとしても、それは別に青木淳悟の自己表現ではない。自己表現ではなく、自己を通すことで生まれる表現、というか。それは、ある打者のスイングが、その人にしかできない独自のものであったとしても、スイング自体を見せるのが目的ではなく、ボールを捉えるためのその人独自のやり方なのだ、ということと同じ。ただ、作家のスタイルは、そのスタイルによってしか捉えられないボール(リアリティ)を捉えるものであり、あるスタイルが成立することで、それまでは見えていなかったボールの存在が(スタイルの成立と同時に)可視化される、というようなものだと思う。それはつまり、スタイル(スイング)の中にボールがあるということでもあり、逆に、(不可視の)ボールによってスタイル(スイング)が導かれるということでもあり、スタイル(スイング)によってボールが顕在化するということでもある、んじゃないだろうか。
磯崎さんの言う、針の穴のような小さな穴(言い方は違ったかもしれない)というのは、私の特異性と世界のある側面とが接することで向こう側へと突き抜けてゆくための接触点のことで、打者のスイングの軌跡が描くバットの芯と、投手の投げるボールの軌跡が描くボールの芯とが一致する(それによってボールが遠くまで飛んでゆく)、ここしかないというインパクトのポイントのことでもあるんだと思う。
トークが終わった後、聴衆として来ていたコア・オブ・ベルズの瀬木さんに声をかけていただいたのだが、ぼくは基本人見知りの上に、なんというか、予想外の不意打ちに弱いので(人と会うことが少ない生活なので、そういう時にすっと対応できない)、なんかすごくそっけない対応をしてしまって、失礼だったのではないかと後で反省した。後から考えれば、映画のこととか、小林耕平さんとのコラボレーションのこととか、いろいろ聞けばよかったと、後悔もした。