2019-11-02

U-NEXTで「時効警察・復活スペシャル」を観た。

最近は映画だけでなく、ドラマも、ドキュメンタリーや科学番組なども、ネット配信で観るようになって、PCのテレビ用のソフトを立ち上げることがほとんどない(台風の時は時々NHKをチェックしたけど)

ネット配信だと選択肢が多すぎて(マイリストがどんどん膨らんでいく)、何を観ようか迷っているうちに観るための時間がなくなってしまうこともよくある。リストにいっぱい作品が並んでいると、それだけで疲れてしまう感じもある。

時効警察…」は普通に楽しめた(変化球的なものの手数の多さ)。ただ、さすがに(前作から)十二年経っているので、出演者たちの「年取った」感がすごい。新人の女性刑事として吉岡里帆が加わっている以外は、ほとんどオリジナルのメンバーで、ドラマ全体で平均年齢がそのまま十二歳分プラスされている感じ。

(オダギリジョーの初主演作『アカルイミライ』は2002年なのか。そんなに前なのか…。)

時効警察」なんて、ちょっと前にやっていたような気がするのだけど、時間は確実に経っているのだということを、出演者の風貌が語っている。いや、あきらかに「年取った」感のある出演者たちによって、以前とまったく変わらないノリが再現されているので、一方で「時間が経った」という実感があるのと同時に、もう一方で、「まったく変わってない」という感覚もあって、そこに齟齬が生じて、不思議な感じがする。これを「停滞」というのかもしれないが。

明らかに歳を重ねた人たちによって再現される同じノリであるこのドラマの題材に、七十歳代なのに四十歳代にしか見えない「美魔王」と呼ばれる男性にまつわる事件が選ばれているところがとても興味深い。四十代にしか見えない七十代の「美魔王」は、「まったく変わっていない(≑停滞)」ことを望む「年寄りたち」にとっての希望であるが、しかしその希望は、実はフェイクであった、と(浦島太郎的なカットもあった)

このことは、十二年経っていることが出演者たちの風貌からも明らかであるにもかかわらず、まったく同じノリで再現されようとする「時効警察」の新シリーズ(時効警察はじめました」)に対する自己言及であり、軽い自己ツッコミにもなっているのだと思った。

(十二年経っていることは明らかなのに、まるでそれをなかったかのようにして、以前のままのノリを再現することに対し、「それはどうなのよ」と軽い自己ツッコミを入れつつも、しかしそれは自己批判というほど強いものでもないので、「分かっててあえてやってます」というエクスキューズでしかないとも言えるが、「あえて」によって生じる「齟齬」を、今後どのように扱っていくのかがこのシリーズの興味深いところだと思った。)