2019-12-19

ヴェンダースアメリカの友人』をU-NEXTで観る。昨日につづいて、映画を観られなくなってしまったことへのリハビリのとして。これもすんなり最後まで観られた。

(ここ数年、ずっと観返したいと思っていたのだがソフトがみつからず、最近、U-NEXTのラインナップに加わったのだった。)

アメリカの友人』を前に観たのは、ずいぶん昔だ。おそらく、偽日記をはじめるよりも前だったはず。

(ロードムービー三部作や『パリ・テキサス』などは、何度か観返す機会があったが、『アメリカの友人』はなかなか観られなかった。)

ヴェンダースという名前、および『アメリカの友人』という映画の存在を知ったのは『シネマの記憶装置』によってで、読んだのは八十年代はじめ頃だと思う(確か「スピルバーグなら聡明に避けるような罠に、いちいち自らひっかかりにいっているような映画」というような「褒め方」がされていたと記憶している)。そして、『アメリカの友人』がはじめてのヴェンダースで、観たのは八十年代中頃のいつか。高校生だったか、浪人していた頃だったか。

なにより、風景というか、街の空気(ハンブルク・部屋から見下ろされる港・かもめ・夜・寒さ)のヴィヴィッドな描写が新鮮だったという印象が残っている(ロビー・ミューラーというカメラマンの名前はすぐに憶えた)。そして、ブルーノ・ガンツの、いかにも「病に蝕まれているおっさん」という存在感(顔色の悪さ)と、デニス・ホッパー疲労が凝固したような存在感。

最初にこの映画を観た時は、物語を追えなかった。というか、追う気が起きなかった。ただ場面場面を、人のたたずまいを、風景を、空気感や光の移り変わりを追っているだけで充分に魅了された。そういう風に観る映画だと、映画自身が言っているように思えた。これがヴェンダースなのか、と思った。

(物語が分かっても、特にサスペンスとして観る必要もないし、そうなっていないところがいいのだ、と。)

(ニコラス・レイサミュエル・フラーのような大御所だけでなく、ヴェンダースと世代の近いダニエル・シュミットジャン・ユスターシュなど、映画監督がたくさん出演していて自主映画みたいな素人っぽい「内輪ノリ」感も新鮮だった。)

(とはいえ、『ベルリン・天使の詩』以降のヴェンダースをみると、ヴェンダースの映画においてぼくが好きだと思っていたものの多くは撮影のロビー・ミューラーに由来していたのではないかとも思えてくるのだが。)