2021-03-10

●昨日の日記を書いていて思い出した場面。89年の芸大の一次試験の三日目(一次試験の最終日)が終わった後、二次試験対策のための油絵を終電近い時間まで描くために、そのまま横浜にある予備校まで戻る。待ち合わせたのか、たまたま駅で会ったのか、同じ予備校の受験生(現役から多浪生まで)4,5人くらいで上野駅で電車を待つ。横浜までは通常、京浜東北線か山手線で東京まで行って、東京駅で東海道線に乗り換える。ただ、京浜東北線に乗れば、時間はかかるが、そのまま直通で横浜まで行く(東海道線の方が停車駅が少ないのではやく着く)。

(今なら上野東京ラインで直通だが、当時は、上野東京ラインとか、湘南新宿ラインとかはなくて、東海道線はすべて東京が終着駅だった。)

いつもは東京で乗り換えるのだけど、なんとなく面倒になって、どうせこのまま乗っていても横浜に着くのだからと、そのまま京浜東北線に乗っていることにした。実際、乗り換えたとしてもせいぜい10分程度はやく着くだけで、東海道線との待ち合わせが悪ければかかる時間はほとんど変わらなくなる。

ただ、この時の京浜東北線が、ほんとうにいつまでたっても横浜に着かなかった。事故があったとかいうことではなく、体感時間として、時間がだらーっと間延びして、目的地に近づけば近づくほど目的地が遠ざかっているのではないかという感じで、いつまでも、いつまでも横浜に着かなかった。実際に電車に乗っていたのはせいぜい50分程度であるはずなのだけど、外の他の時間との同期から逃れて、ふわーっとした、なんともとりとめのない時間がどこまでも続く感じで、後にも先にも、この時の他にこんな感じの時間を経験したことがないという、特別な、緩んだ時間だった。浅いが心地よい眠りのまま、二度寝、三度寝、四度寝しても、いつまでも起きるべき時間にならない、みたいな感覚。とにかく着かない(何度着いてもそこは途中駅)という形で決着がどこまでも先延ばしにされつづける状態。この感じも、とても良いものとして残っている。一緒に電車に乗った4、5人の受験生たちにもこの感じは共有されていたように思う。

(今思うと、この時に、前年秋からつづいていた緊張と高揚の状態が解かれてしまったために、二次試験がイマイチだったのかもしれないとも感じる。)