2021-05-11

●おお、《atelier nishikata(小野弘人+西尾玲子)の作品集》が出るのか。長島明夫さんのツイートより。

《【メモ】来年5月30日発売予定で、atelier nishikata(小野弘人+西尾玲子)の作品集が予約販売されている。著者はミースやアドルフ・ロースの研究者。》

《atelier nishikata(小野弘人+西尾玲子)の作品集、近日開設予定のオンラインショップで和訳冊子付きで販売されるようなので、Amazon等で予約購入するのは控えておいたほうがよいかもしれない。》

https://twitter.com/richeamateur/status/1341348726485348353

atelier nishikataのウェブサイト。

https://atelier-nishikata.info/

●以下は、以前ぼくが書いた「セザンヌの犬」という小説の一部分です。「群像」2012年11月号に載っています。

http://gunzo.kodansha.co.jp/10050/18190.html

 

壁から鹿の角のように飛び出したフックにあなたの大きな麻の肩掛け鞄がぶら下がっている。近くにはハンガーにかかった古びたジャケットもある。ジャケットは重力に抗してあなたの肩のかたちをキープしている。そこにあなたがいなくても、それがあなたの立ち姿をあらわしている。だがあなたはその同じ部屋にいる。あなたはゆっくりと息をついて椅子に腰をおろす。たった今、大きな荷物を抱えて戻ってきたばかりだ。テーブルの上のクラフト紙で出来た大きな袋のなかにはリンゴがぎっしり詰まっている。袋には持ち手がないし、下から抱えるように持たなければ重みで底が破けてしまうかもしれなかった。だから途中で休むためには袋を地面におろさなければならない。もう一度息をつくとあなたは立ち上がり、冷蔵庫から白い液体の入ったガラス瓶を出してマグカップにそそぐ。ミルクを電子レンジに入れてスイッチを押すとウーという音とともにターンテーブルが回転をはじめる。ミルクの表面に薄い膜が徐々にかたちづくられる。

湯気のたったマグカップとともにテーブルへと戻ってきたあなたは、ミルクに一度口をつけて満足そうに軽く微笑み、カップを置くとその骨ばった右手で袋のリンゴを一つ掴み出す。そこに左手を添えて包み込み、顔に近づけて匂いを感じる。腕を伸ばして顔から離し、目を細めて表面を撫でながら形と色を受け取ろうとする。そのようにしてあなたは、リンゴを一つ一つ丁寧に袋から出してテーブルに並べる。

あなたのアトリエのドアを開けたわたしの目に最初にとびこんできたのは、そうしているあなたの背中だった。わたしの背中はわたしのものではありません。あなたの独り言のような喋り声が聞こえる。それはわたしの隙間です。わたしのからだの後ろ半分は、あなたに見られることでわたしの前半分とつながります。あなたの声はあなたのからだからではなく、この部屋全体から聞こえてくるようだ。用事を頼んでしまってもうしわけない。わたしにとって大切なハンカチなのです。さあ、どうぞこちらに来て坐ってください。ここにはおもてなしと言えるようなものはなにもないのですが。振り返ったあなたの手には鮮やかな色のオレンジが握られている。あのオレンジ色の奥には青が含まれている。わたしはそのように感じた。テーブルの上にもたくさんのオレンジが並んでいる。その色は晴れた空を連想させた。近所の方からのおすそわけですが、ここまで運ぶのに難儀しました。今、ちょうどコーヒーを淹れたところです、いかがですか。あなたはテーブルに置かれたコーヒーの入ったマグカップの方に視線をやりながら言う。いただきます、とわたしは応える。ドアを開けた時からいい香りだと思っていましたよ。それにしても今日は素晴らしい天気ですね。空がオレンジのように晴れています。そうですね、とあなた。わたしもこれを運ぶ途中、袋のなかと空とがひっくり返ってつながっている感じがしていましたよ。

実は、電子レンジのターンテーブルの上にはリンゴが一つ変換されずに残ってしまっていた。冷蔵庫のなかのミルクの入った瓶だけがそのことに気づいている。オレンジの香りとコーヒーの香りはケンカをしてしまいますね。紅茶の方が良かった。どうもわたしは気が利かなくていけない。あなたは言う。とんでもない、とてもおいしいコーヒーです。わたしはコーヒーの香りの向こう側にリンゴの存在を感じている。