2021-05-13

●以下は、ぼくが以前書いた「「ふたつの入り口」が与えられたとせよ」という小説の一部分です。「群像」2011年4月に掲載されています。これは、はじめて公的に発表できた小説で、他分野の人の書いた短編小説を掲載する「新鋭短篇競作」という企画として依頼されて書きました。「夢の話」を書くのではなく、どうやったら「夢の状態」を書くことができるのか、ということだけを考えて書いたものです。

11日からここまで、今まで発表した四つの小説の部分を、今年中には発表できるだろうと思う五つ目の小説の遠い予告編として、ここに置いておきます。

http://gunzo.kodansha.co.jp/3685/6350.html

 

わたしはいつも、自分の部屋へは後ろ側の入り口から入る。前側にも入口があることは知っているが、見たことは一度もない。わたしの部屋は六畳一間のはずなのに、後ろ側から入る時と前側から入る時とでは別の場所に繋がっているようだった。だから、わたしは、わたしの部屋を、いつも前側から入ってくる人と一緒に使っているのだけど、その人とは一度も会ったことがない。でも時々、タンスや机の引き出しを開けようとすると、向こう側から閉められてしまうことがある。きっと、わたしがそうした時にその人もまったく同じことをして、タイミングがぴったり合ってしまうとそうなるのだと思う。その時、ちらっとその人の手の影が見えて、影が手袋みたいにくるっとひっくり返るのが見える。

 

あなたは、どうやらわたしの存在には気づいているようだが、わたしのことを見えてはいないようだ。しかし、わたしにはあなたがよく見えている。あなたは、兄たちや友人たちと河原に行き、兄たちが魚を捕るのを見ていた。実はわたしも、同じ時、同じ河原で、兄たちや友人たちと魚捕りをしていたのだ。わたしはあなたとまったく同じ場所から、空や魚を捕る兄たちを見ていた。だけどわたしはそこで、宙を踏み外して空の方へと落下してしまったのだ。だからもう、わたしはあなたのいるその部屋には居ない。わたしは消えてしまった。

あなたは、わたしが消えてしまった後のあなたとわたしの部屋へと、とんとんとんと勢いよく階段をのぼってやって来て、後ろ側の入り口から入った。ポケットのなかにはまだ、友人の姉からもらったキャラメルが二粒入っている。おかあさんに見つからないうちに食べてしまはなければ、とあなたは思う。一粒を口に入れると、タンスのなかから手袋を取り出して、それをくるっとひっくり返し、そのなかにもう一粒のキャラメルを入れてタンスに戻す。それはきっとわたしにくれたものなのだろう。でももう、それではわたしに届かない。

逆立ちしてみて、とあなたに向かって声をかけようとしても、消えてしまったわたしの言葉は空気を震わせることができない。キャラメルをわたしに届けるには、あなたが逆立ちして、キャラメルも逆立ちさせてみて。もう一度、強い思いを込めて言葉を伝えようとする。でもそれは、声どころか風にもならない。それでも、あなたは何かを感じたようで、しきりにきょろきょろと周囲を見回しだす。そして、机の上にあった筆立てを逆さにしたり、教科書とノートを裏返しにしたりしはじめる。立ち上がって、座っていた椅子を逆さにし、本棚の本を上下逆に入れ直したりもする。そしてあなたは、聞き耳を立てるように眉間に皺をよせて目を閉じる。腕組みをして、首をかしげる。ゆっくりと目を開いて、空を仰ぐように上を向いて天井を見る。するとあなたはそこに、天井から逆さまに立っているあなた自身の姿を見る。逆さまに立つあなたの姿は、あなたに向かって、はっきりとした声で言う。あなたが逆立ちして、キャラメルも逆立ちさせてみて。