2021-05-14

●『大豆田とわ子と三人の元夫』、第五話。

この回でまずすごいと思ったのは、「気づき」という状態を発生させるための、未来へ向けた伏線ともいうべきものの機能だ。もやもやっとした予感を生成し、そのポテンシャルが上がっていき、ある時、ふっと「気づき」に至る。砂浜での足形、靴下の穴、微妙な間、靴下二足のプレゼント、微妙な間、本人を前にした「過去の状況」を整理するように振り返る対話、着信、泳ぐ視線、靴下を買って行ってあげないと…。これらの要素、状況が積み重なることで、長年気づかなかったことに、ふと気づいてしまう(気づいた瞬間、気づいた本人が画面のなかにいない、という演出もすごい)。状況の重なりによって「気づき」はあたかも向こうからやってくるかのように松たか子の元へ訪れる。真のサプライズは、誰かが計画して起こすものではない(しかし、脚本・演出はそれを計算して創り出している)。

(「くつしたってさ、そういうこと」と言う松たか子は軽く噛んでいる。意識的にやっているかは分からないが、この「軽噛み」のリアルさ。)

松たか子が、松田龍平の片思いの相手が市川実日子だということを今まで気づかなかったのは、おそらく気づきたくなかったからであり、察していたとしても、気づかないように無意識を抑圧していたからだろう。様々な徴候を、松たか子は半ば意識的に見逃しているようにさえみえる(サプライズパーティーの徴候は決して見逃さないのに)。しかし、様々な要素の重なりによってつくられる状態が、意識の検閲を緩ませ、その隙を突いて「気づき」が浮上する。ここで「緩み」は、セクシスト社長の愚痴を松田龍平がまともに受け止めて怒ってくれたことによる、彼への信頼感の惹起が、意識のガードを緩ませたという一面もあるのではないか。また、離婚に対する罪の意識---父から娘を奪い、娘から父を奪った---を告白したこともまた、抑圧のガードを下げさせた原因の一つであろう。「気づき」は、様々な要素の積み重ねによって起ったわけだが、それにしてもこの「気づきのシーン」はすばらしく、気づきがまさに「ここ」で起るべくして起ったという説得力があった。

(松田からの靴下のプレゼントは---松田の意図はどうあれ---松にとってガチでサプライズであり、松田龍平は計画とは無縁のサプライズを生成できる存在であろう。)

(松たか子と同様に、岡田将生にも、気づかなかったことへの気づき=サプライズが訪れる。今まで見えていなかった、見ようとしなかったものが、見えるようになってしまったという点で同じだろう。岡田将生の場合は自ら気づくのではなく、偶発的、物理的接触によって---他者として---「気づき」がやってくる。)

前回の市川実日子と浜田信也との関係の描出はいわば今回の「先触れ」的なものだとも言える。市川実日子松田龍平との間にも、同様だが、もっと長く、深い、緊張を伴った、つかず離れず状態があり、それは今もなおつづいていている。前回の市川実日子と浜田信也との関係は、いわば過去の市川実日子松田龍平の関係の変奏的反復でもあり、代理的回想という機能ももっていたと言える。

また、松田龍平市川実日子松たか子三者関係は、石橋静河松田龍平岡田義徳三者関係と、男女を入れ替えてパラレルであり、松田龍平は、石橋静河の行動が、自分と岡田義徳との関係を悪化させてしまったように、自分の行動が市川実日子松たか子の関係を悪化させてしまう、ということがないように配慮しているようにみえる。とはいえ、岡田義徳が知ってしまったように、松たか子も気づいてしまった。

ここで石橋と松田の異なる点は、松田は恋愛至上主義ではないということだろう。松田と松の関係は恋愛ではないようだが、恋愛ではないからといって松が「二番手」というわけではない(恋愛が「一番」ということではない)。二人の間に唯一無二の信頼関係があるということは、他でもなく「気づきのシーン」そのものによって表現されている。

●娘(豊嶋花)が、医者になるという目標を捨て、勉強をやめた原因は、家が医者でお金持ちの「西園寺くん」と付き合っていることと関係がありそうだ、と匂わせられる。今回、豊嶋花が過剰に両親(特に父)に甘えている感じだったことが気にかかる。彼女の目標変更には、何か彼女なりの隠された挫折があるのかもしれない。

(そもそも豊嶋花は両親大好きで、会社の経営方針では常に母の肩を持つし、頻繁に松田の店を訪れているのだが。)

松たか子の前にあらわれた三人目の男は、詐欺師(斎藤工)、チャラ男(川久保拓司)についでセクシスト(谷中敦)だった。しかも強力な利害関係者。この件にかんしては次回以降の展開か。