2022/07/25

●『カルテット』の松たか子は、最後の方で、満島ひかりに対して「自分が義父を殺した」ことを認めているし、満島ひかりはそれを知った上で、松たか子を受け入れている。

(なぜ、コンサートの一曲目に「死と乙女」を選んだのかと問う満島に、松は「こぼれちゃったかな」と答える。その後に、納得したような満島の顔。)

この点について、松たか子満島ひかりに対しては「嘘」がない。しかし、他の二人(松田龍平高橋一生)に対しては、依然として「嘘」をついたままということになる。また、松のことを信じている宮藤官九郎に対しても、嘘をついていることになる。

嘘をつかれつづけた松たか子が、最も根本的な嘘をついていたという状態が、警察の介入によって発覚する。それにより、一通り全員の「嘘」が発覚したことで(高橋一生の嘘については微妙だが、そもそも大した嘘ではない)、すべての「嘘」が相殺しちゃらになって、きれいに終わる、という風に見えるが、実は松たか子はまだ「嘘」を保持している(その嘘は、とても重大な嘘だ)。そして、その「嘘(=秘密)」によって四人のメンバーのなかで満島ひかりとだけ、特権的に密な関係をつくっていることになる。

だからこの物語は、最後に、松たか子満島ひかりとの関係の特権性が確認されて終わる、ということになるのだと思う。

一見、恋愛を相対化して、フラットな四人の関係が肯定されているようにみえて、実は、非恋愛的ではあるが、特権的な二者の関係が示されて終わる。

このドラマの最大のクライマックスは、松たか子が偽物だと分かったときに、満島ひかりが松に向かって言うセリフだろうと思う(このセリフにより、満島の松への気持ちが、満島の松田への気持ちより強いことが---少なくともドラマの表現上は---明らかになる)。そして松の言う「こぼれちゃったかな」は、この時の満島の言葉にたいするアンサーになっている。

(そもそも、「こぼれちゃってる」という言葉は、最初は松から満島へと向けられた言葉だった。それが、クライマックスにおいて満島から松へと返される。そしてさらに、最終回で松から満島へと送り返される。)

九話での満島の言葉と、それに対する十話の松の言葉によって成立する対話があることで、このドラマが完結するのだとすれば、途中にいろいろあったが、最後は松たか子満島ひかりガチ恋で終わるということなのではないか。

(前にも書いたが、このドラマは「こぼれちゃっている」ものこそを真とする価値観でできている。だから、全員嘘をついているという状況を描きながら、嘘つきゲームにはならず、嘘をついていてもなお、嘘をこえた、嘘よりも強いものとして、互い信頼関係が成立し得るのだ、という話になる。それがこのドラマの特異性なのだと思う。)

●『カルテット』が、四人の話と見せかけて、途中で四+一人の話にとつぜん変わった(+一は宮藤官九郎)ように、『初恋の悪魔』もまた、四+一人の話として構想されているという可能性もあるなあと思った。