2022/07/24

●下の記事は、VECTIONで共有しているスラックから。

集合知が衆愚になるのはバイアスが原因、そして衆愚化するのを防ぐ方法(Gigazine)

gigazine.net

《では「どんな時に集合知が愚かなものとならないのか?」というと、近年の研究によると「集団のメンバーが相互に影響しないこと」が重要な要素とのこと。集団が各個人の持つ幅広い予想から意見を出せば賢明な答えになるのですが、何かのバイアスがかかった時、つまり互いが影響を与えたり外部の要因に影響されたりした時に、集合知は愚かなものとなってしまうのです。》

《彼らの理論の背景にあるのは非常にシンプルな考え。つまり、「自分の意見に自信を持っている人に影響されやすいタイプの人がいる」ということ。(…)、影響されやすいタイプの人は個人の考えを強く持つグループから隔離する必要があります。》

《Madirolas氏とPolavieja氏は研究のデータをもとに個人が外からの情報をどれだけ受け入れるかという数学モデルを作成。最終的に人が出す結論は「自分自身の予想」と「初期に出された総合推定値」という2つの情報をもとに作られており、この2つのいずれに重きが置かれるかで結論が変化すると2人は考えています。例えばバイアスを受けやすいグループの人々は総合推定値に重きを置きやすく、自分の予想に自信を持っている人々は総合推定値に対して全く重きを置かないか、少ししか加味しません。》

《この方法を使えばグループを「個人の意見を強く持つ人」と「バイアスを受けやすい人」に分けることが可能。》

ここに書かれた方法は、とても限られた範囲で特定の問題に対する答えを投票する場合には有効だが、社会のなかで常に「自分の意見に自信を持っている人」と「自分の意見に自信を持っている人に影響されやすい人」とを分けておくことなどできないし、すべきでもないだろう。

近年では、政治的活動ばかりでなく、経済的活動においても、あるいは宗教活動においても(ということは、政治と経済と宗教とが切り離せなくなった形で)、「自分の意見に自信を持っている人に影響されやすい人」を、どのようにして自分たちの陣営に効率よく取り込むのかということばかりを、みんなが必死になってやっているような時代になっていて、そして、その技法ばかりがどんどん洗練されていってしまっているように感じられる(社会全体がネットワークビジネス化しているかのようだ)。

ぼくは、このような状況がすごく不快だが、基本的に、このような状況を変えられる可能性をもつのは、現代の情報技術によって可能になる、今までは可能でなかった(つまり、これまで考えられたどのような制度とも異なる)、新しい制度しかないと思っているし、それをなんとかして考え出す以外に希望はないと思っている。

それは勿論、ものすごい天才がどこかにいて、いきなりぽかっと考え出してくれるのではなく、世界中のいろいろなところで、(同様の志をもった)いろいろな人たちがトライ&エラーを繰り返し、作っては破綻しを繰り返して、徐々にできあがり、徐々に広がっていくことを期待するしかないようなものだ。おそらく、たとえばマルクス主義者が頼った「資本論」のような「聖典」はどこにもない(でもそれは、ない方がいいのだと思う)。

●上の記事には詳しく書かれていないが、1906年の「牛の重さ当てコンテスト」については、『「みんなの意見」は案外正しい』(ジェームズ・スロウィッキー)に書かれている。

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