2021-08-31

●『ペドロ・パラモ』の時系列を混乱させている主な原因は、幽霊たちのざわめきであって、母との約束のために余所からコマラへやってくるフアンが経験する出来事は時系列順に並んでいるし、小説の中心人物であるペドロの生い立ちの流れも、一部を除いてほぼ時系列順に並んでいると言えるだろう。

前半は、フアンが聞くことになる幽霊たちの語りが、時系列に沿わずに散発的、断片的に立ち上がるなか、スサナへの思い、生活の貧しさ、祖父の死などのペドロの幼少時代、そして、父の死、借金を帳消しにするための策略としてのフアンの母(ドロレス)との結婚、トリビオという男の土地を略奪した上に拷問死させるなどの、成年となったペドロの悪党ぶりが(ペドロとその父親の代からの部下フルゴルとの関係などを通して)語られ、またペドロの息子ミゲルの死のエピソードを通じて、教会がペドロの支配下にあり彼に従わざるを得ないレンテリア神父の苦悩などが語られる。前半部分のペドロのパートは、幼少期から成年期へという大きな流れとしては時系列に沿っているが、成年となってからのエピソードが時系列通りではない。幽霊たちの散発性とペドロの成年エピソードが前後すること、それに物語世界の情報量がまだ十分でないこと(そして、登場人物の名前の覚えにくさ)もあり、記述が錯綜し(内容が継起的に展開するというよりネットワーク状に広がる)、出来事や人物の関係をなかなか把握しにくくて、たびたびページを前後しながら読み進めることになる。

だが、半分天井の崩れた部屋の兄妹との接触からフアンが死者となり、幽霊たちの声の聞き手となった後の後半では、ペドロやコマラという土地の出来事はほぼ時系列に沿って並べられるようになる。そしてそこで描かれるのが主に、ミゲルの死、スサナのこと、そして武装勢力の台頭によって世の中が不穏になってきたこと(そのような情勢下でのペドロの振る舞い、そして増々深まるレンテリア神父の苦悩)、スサナの死後のコマラの衰退、に絞られてくるので、出来事の推移がかなりつかみやすくなってくる(後半で時系列を乱す要素は、ほぼスサナの記憶と夢による混乱のみであろう)。

●「《》」内に直接的に書かれる内言や、フアンを介した又聞き(それらの部分も「一人称的な語り」なのだが)ではない、スサナによる自律した一人称の語りのパートは一カ所だけだ。そこでは「母の死」についての記憶が語られる。いま、自分が横たわっているベッドで母は死んだと言い、いやそれは嘘で、自分はいま、棺桶(死んだ人を埋める黒い箱のなか)にいると言う。そして、母の葬儀に参列者が一人もいなかったことや(後にドロテオによって、病気がうつることを恐れて誰も近づかなかったのだと理由が語られる)、母が死んだ時に唯一近くにいてくれた---子供の頃から死ぬまで一貫してスサナの世話係である---フスティナについて語る。

母の死はどうやら、スサナがまだコマラにいた頃の出来事のようで、ならば母の死がコマラを離れる原因(きっかけ?)だったとも考えられる。しかし不思議なのは、この母の死の場面に父(バルトロメ)の影がまったくみられないことだ。この時にバルトロメは不在であり、スサナがコマラを離れた後に合流したとも考えられる。しかし、バルトロメにはコマラを強く嫌っている独白があり、強く嫌悪するからにはそこに住んでいたはずだろう。だから、この内的な語りにおいて、スサナは意図的に(あるいは意図しなううちに)父の存在を排除して、いないものとして語っているとも考えられる。

スサナは、父をバルトロメとファーストネームで呼ぶ。なぜ、父をバルトロメと呼ぶのか、おまえは娘ではないか、と問う父に、スサナは《そんなことない》と娘であることを否定する。どうして自分を父親と認めないのだ、気でも狂ったのかと続けて問う父に、《(気が狂っているということに)気づかなかったの?》と答える。この部分を読んで最初は、スサナは父を嫌悪して、拒絶しているのかと思った。しかし、スサナが寝室を真っ暗にしているのに乗じて、ペドロが部屋に忍び込んでスサナに夜這いをかける場面で、彼女はペドロをまずは猫と勘違いし、ついで《バルトロメなの?》と口にする。さらに、父の死を聞かされた時にスサナは、(ペドロの夜這いを)バルトロメがお別れにきたのだと解釈して納得する。これを読むと、スサナはバルトロメを避けていたというより、性的なパートナーとして受け入れていて、だからこそ「父」であるという事実の方を拒否していたのではないかとも考えられる。

(とはいえ、父が酷く嫌っているペドロとの結婚をスサナがあっさり受け入れたのは、バルトロメとの関係から逃れたいという気持ちがあったからだろう。)

この後もスサナは、見舞いに来た神父(パドレ)を父(パドレ)と勘違いするのだが、興味深いのは、ペドロが来た時には「バルトロメなの」と言うのに、神父が来た時には「父さんなの」と呼びかけるのだ。スサナのなかで、バトルロメと父とが分離していることのあらわれだろう。

●だが、(生前だけでなく死後においてもなお)スサナを苦しめつづけているのは、父との関係ではなく、夫(フロレンシオ)との性交における官能の記憶と、そのかけがえのない夫を失ってしまった悲しみの記憶の、両者の耐え難い程の強さと、その強すぎるコントラストなのだった。

ペドロは、《スサナは、自分のこれまでの記憶をことごとく消し去り、これからの人生を照らしてくれる灯明になってくれるはずだったのだ》と思う。ペドロにとってスサナは、自分のしてきた悪辣な行為によって背負った重たいカルマを落としてくれると期待された人物だったが、そのスサナ自身が、誰よりも重く過去に苦しむ人であった。そしてペドロは、《これまでの記憶》を消すどころか、過去から復讐されるかのように、愛する人の苦しむ姿をただ見続ける以外手だてがないという無力さに苦しみ、スサナの死後もさらに、その苦しみを苦しみつづける。