2022/07/02

●『アクターネットワーク理論入門』(栗原亘・編著)、第12章「異種混成的な世界におけるエコロジー(栗原亘)より、引用、メモ。

マクロ/ミクロの二項対立を前提としない

(…)ANTは、アクターを追尾するために、グローバル/ローカル、マクロ/ミクロといった二項対立図式を前提とすることをやめるからである。すなわちANTは、アクターたち自身がどのように世界を構築しているかを主題化するために、グローバルなしいマクロな社会構造、資本主義体制、その他の跳躍(jump)、すなわち記述の省略を可能にするような概念の使用を差し控える(…)。そうした「グローバル」ないし「マクロ」な概念を説明変数に据えることを拒否するのである。具体的な個々の構築現場(construction sites)へと目を向け、それぞれの現場における多種多様なアクターの働きを記述し、「グローバル」「マクロ」とかいった言葉で表現されているような何かが、そもそもどのように成立していくのかを記述しようとするのである。》

海洋プラスチック汚染とマイクロプラスチック

《もちろん、すでにこれまでも、プラスチックボトルのポイ捨てだったり、シーレジ袋の無駄遣いだったりは問題視されてきた。その長持ちする性質ゆえに、長持ちするゴミとなることが問題となったのである。(…しかし)プラスチックという存在それ自体が悪魔的なものであるかのような扱いは、少なくとも今のような形ではなされなかったのである。》

《重要な転機をもたらしたのは、海洋プラスチック汚染の発見であった。》

《この海洋プラスチック汚染問題において重要な位置を占めている要素の一つはマイクロプラスチックである。マイクロプラスチックとは、5mm以下のサイズのプラスチックを指す。大きく分けて二種類が存在しており、一つはもともと小さなプラスチックとして製品に使用されていたもの(e.g.洗顔料、化粧品、歯磨き粉などに入っているスクラブなど)で、一次マイクロプラスチックと呼ばれる。もう一つは、元来はもっと大きかったプラスチックが、年月を経るなかで砕けて微細になっていったものである。たとえば、海に流出したプラスチックゴミが日光で劣化し、波で砕かれるなどして徐々に細かくなっていったものや、合成繊維の衣類を洗濯するときに発生するものなどが含まれる。これを二次マイクロプラスチックという(…)。》

《一次マイクロプラスチックにせよ、二次マイクロプラスチックにせよ、いずれもがプラスチックを再定義する流れを生み出すことに貢献した。とくに二次マイクロプラスチックは、長持ちするゴミが、実のところ、単に長持ちするのではなく、形を変えて長持ちすることを示した。そして、それによって、われわれの日常的な行為の全体が問い直されることになった。》

(…)まずはここで次のように問うてみたい。われわれの生活のなかにくまなく偏在しているとされるプラスチックが、正確にはどこに在るのかを、われわれは日々正確に把握できているだろうか、と。「自明視する」ということは、「背景化する」ということ、「それに意識を向けない」ということを意味する。(…)われわれと生活をともに成立させている構成子(メンバー)であるはずなのに、同時に、われわれの生活にとって完全に背景の位置に追いやられているのである。》

(…)たとえば、化学繊維からできたフリースを洗濯機で洗濯するとマイクロプラスチックが発生することや、スポンジを使用して食器を洗うたびにマイクロプラスチックをつくって観ずに流しているなどということを、いちいち考えながら生活してきた人間は、少なくとも最近になるまでほとんどいなかっただろう。しかし、今やそうした一つひとつの日常的な行為が、マイクロプラスチックの発見によって、新しい位置に置かれることになったのである。》

議論を呼ぶ事実、争点の生成、連関の生成

《以上のことをラトゥールの語彙を用いて表現すれば、プラスチックは、マイクロプラスチックのような新しい存在体が分節化されるなかで、厳然たる事実(matter of fact)から、気がかりなコト(=議論を呼ぶ事実)(matter of concern)へと姿を変えた(…)。われわれの集合体のなかに静かに居を置いていたそれは、今や、あらゆるところで見つけ出され、ひっそりと佇んでいた住処から引っ張り出され、世界中の実験室で尋問を受けている。》

《言い換えれば、プラスチックは争点(issue)となっている。争点の生成は、わたしたちが生きる世界を構成し直すコスモポリティクスないし存在論的政治が生じる契機である(…)ANTの観点からすれば、争点化することとは、単に言葉の上で盛んに言及される、というだけでなく、まさに人間と非人間とから成る連関(association)が形成されていくことを意味する。》

《たとえば今筆者の手元には、『ナショナルジオグラフィック』誌のプラスチック問題特集号がある。そこには、世界各国から集められたプラスチックゴミの写真が敷き詰められている。さまざまなデザインのペットボトルが水中を漂う写真、リサイクル業者に売るために捨てられたプラスチックシートを川で洗い乾かしている親子の写真、そして、頭からビニール袋をすっぽりかぶってしまった鳥の写真があったかと思えば、ペットボトルのキャップを背負ったヤドカリや綿棒のプラスチック製の柄にしがみつくタツノオトシゴの姿を収めた写真などもある。何がみえてくるだろうか。プラスチックボトルのパッケージ上で繰り広げられる広告合戦だろうか。グローバル経済の末端に組み込まれた社会の経済活動の一側面だろうか。児童労働の問題だろうか。野生の生物の苦しみか、あるいは生命による創意工夫の数々か。》

(…)以上は、海洋プラスチック汚染なる問題が存在しなければ、おそらくはバラバラの、まったく異なるテーマに属する写真であっただろう。(…)にもかかわらず、わたしたちがそれをまとまりのある一つの「特集」として認識することができるのは、まさに「海洋プラスチック汚染問題」が争点化し、翻訳の連鎖が生じ、結び直されたからなのである。》

《言い換えれば、「海洋プラスチック汚染問題」とは、経済的な問題でも、政治的な問題でも、生態学的な問題でも、技術的な問題でもある。それは、異種混成なネットワークそのものなのである。》

近代的なオブジェクトと、その再分節化

《近代的なオブジェクトの特徴について少しまとめておこう。まず、それは限定された現場でのみ分節化(articulation)が行われた後、次々と他の現場へと移送されていく点に特徴がある。有用性が強調され、その性質は自明のものとされ、問いを発することを許さない。仮に問いが発せられたとしてもそれを無視し続けるというある種の強靭さをもっている。より正確には、そのような強靭さをもつような形で構築されているモノである。》

(…)長年にわたりプラスチックの大動員が行われてきたわけだが、その危険性を指摘する声、懸念する声もまたいくつも存在してきた。しかし、その声が「大動員」を躊躇させることはなかった。マイクロプラスチックについても1970年代にはその存在が認められていたが、大々的に問題として認識されるようになったのは2010年代に入ってからであった。》

《近代的なオブジェクトの特徴は、あたかも固定的で、はっきりとした輪郭をもっているようにみえて、実際には、他の存在と結びつき、絶えず形を変え、性質を変え、その存在が把握しきれないほどに多様になっていくという点にある。その名前を出せば、われわれはみんなそれを知っている。少なくとも聞いたことはある。しかし、にもかかわらずそれが何であるのか、正確なところはわからない。それらが生み出される構築現場は、ほとんどの場合、可視化されない。つまり、近代的なオブジェクトは、ラトゥールのいう、近代的な世界観からは見過ごされてしまう中間地帯において大規模に生産され、異種混成的なネットワークのなかに絶えず組み込まれていくのである。》

(…)プラスチックは、(…)大量生産・大量消費社会の象徴といえる。しかしそれは、大量生産・大量消費社会を映し出す単なるスクリーンではない。プラスチックは、大量生産・大量消費(そして大量廃棄)を可能にしたアクターなのである。その名に恥じぬ驚くべき柔軟さで、確たる市民権を手にしたプラスチックは、われわれの集合体(collective)の隅々に拡散し、人間と非人間から成る異種混成的なネットワークの一部となっていった。(…)それらは、まさにわれわれの足元から上空まで、くまなく存在しているのである。それなしにわれわれの現在の世界はありえない。しかし、同時に、再びモア船長の言葉を借りれば、「プラスチックはどこに消えているのか(…)(…)な状態にある。プラスチックは声なきモノの位置におかれてきたのである。》

《ここで、今日生じている状況を整理してみよう。それは、プラスチックという近代的オブジェクトを再分節化していく過程であるということができる。そこにおいては、無関係に思われたさまざまな存在体、アクターたちが、そのつながりをあらためて可視化される。そして、おもわぬアクターの存在やその働きに光が当てられることで、われわれは不意打ちをくらわされることになる。》

《洗濯する、食器を洗うといった多様な行為の位置づけが変容することについて先に触れた。わたしたちの日常的な行為が一から問い直されている、と。強調しておかなければならないのは、これを単に人間の行為という観点からみてはならないという点である。われわれの世界を構築していた(が、往々にして注目されてこなかった)あらゆるアクターたちが、新たなエージェンシーを付与されていく過程であることを強調しておかなければならない。》

ANTの役割

ANTは、以上のような一つひとつの事柄を記述していくことを通して、再分節化を促すこと、そしてその再分節化ができる限り適切になされるよう補助的な役割を果たすことを目指すものであるといえる。ここで、あくまで補助的な役割である点は強調しておく必要がある。ANTは、アクターたち自身が世界を構成するという点を尊重する。まちがっても、より正しい現実像を提示して、アクターたち自身の現実像を置き換えるようなことをしてはならないのである。アクターたちのかわりに現実を構築することがANTの役割ではない。》

●本棚に収まった『アクターネットワーク理論入門』。ラトゥールの本は別の場所の本棚にある(本の並べ方かなりデタラメ)