2022/08/07

●『初恋の悪魔』から感じられる「密度」は、一方で、単位時間あたりに盛り込まれる表現上のアイデアや工夫の量の多さによるが、もう一方で、複数の異なる「速度(リズム)」の並走ということにもよると思われる。

おおざっぱにみて、おそらく四つくらいの、リズムの異なる時間の並走がみられる。

まず、一番ゆったりした流れとして、仲野太賀の兄の死の謎や、松岡茉優の多重人格の謎という、おそらくドラマ全体にわたって展開されていくと思われる「張り巡らされた謎とその解明」の流れがあるだろう。これは、一話から四話まで、様々な場面でほのめかされ、はりめぐらされ、ゆっくりと展開していく。

それとは別に、一話の単位で立ち上がっては収束する、一話完結の「事件」が展開するリズムがある。こちらは割と、サクサクッと立ち上がって、サクサクッと収束するが、事件の顛末そのものというだけでなく、主要な登場人物の感情との共振という作用もある。

さらに、まさに「秒で」展開していくような、とてもテンポの速い出来事の展開がある。たとえば、唐突に仲野太賀の婚約者が現れたと思ったら、次の瞬間には婚約者に別の男性がいることが明らかになり、オープンマリッジという新たな概念が出てきたかと思うと、あっけなく婚約は破談になり、松岡茉優にいい感じで慰めてもらっていると思ったら、二人の関係は急接近して、いつの間にかアパートの部屋で寝食を共にするようになっている(鍵を失くしたという理由=言い訳はあるとしても)。また、林遣都は「告白する」より前に、「ない寄りのない」と言って松岡にふられる。観ている側が置いていかれかねないくらいの速度で、余韻を感じる暇もなく(過程を大胆に省略することで)コマ送りのように進んでいく速い流れがある。

以上のような「速度の異なる流れ」とはまた別に、むしろ「流れない」時間として、四人の主要な登場人物たちが「わちゃわちゃ」している場面がある。これは「流れる」とか「展開する」というような時間とは違って、四人が良い関係である限り、ずっとそこにありつづける、何度でも回帰するようなものとして「場所のようにある」時間だろう(仲野と松岡のカップルとしての時間は、速く展開する時間にも属するが、こっちに属する場合も多い)。

(一つの場面が複数のリズムにかかわっている、ということもあるだろう。)

(模型を使って推理=推論を展開する場面は、「事件」の時間と「わちゃわちゃ」の時間が合流する地点だと言えるだろう。)

(林遣都安田顕の場面が、「大きな謎」の時間に属するのか、「わちゃわちゃ」系の時間に属するのかまだ決定できないけど、おそらく「わちゃわちゃ」系なのではないかと思われる。)

リニアに流れる一つの時間のなかに、四つの異なるリズムが絡み合うかのようにして共存していることで、中身が濃くてギュッと詰まった感じが生まれるのだと思う。

●また、『初恋の悪魔』にはさまざまなレベルでの響き合いがある。昨日の日記で書いた、松岡茉優佐久間由衣が「同じ場所」(右の鎖骨の辺り)を撃たれる、とか、仲野が口にした「肉じゃがとコロッケ」というフレーズが、(それを聞いていなかったはずの)柄本において「肉じゃがとプリン」という形で半分だけずれて反復されたりといった、物語内容における「伏線」とは異なるところにも、様々な反響がちりばめられている。

あるいは、二話で登場した「オープンマリッジ」という概念が、安田顕の「妻ズ」として変形されて反復される、とか。

仲野の母親は、仲野の「好きな人」が「絵でできてる人」だろうと、すごく雑に紋切り型を押し付けるのだが、それを反復するように柄本もまた、「事件」の犯人像を「孤独な独身男性」というように紋切り型に当てはめて、林からたしなめられる。そしてさらに、風貌が怪しいという理由で「ベランダの男性」に疑いを向ける。もちろん柄本の「紋切り型の押し付け」は、仲野の母ほどひどくはないし、後にちゃんと反省するのだが、彼にはもともとそういう傾向があるということは第一話からきちんと描写されており、ネガティブな要素もドラマのなかで反響し、人物たちに分け持たれる。

(柄本の暴走は、勝手な正義感で相手を裁こうとすることにおいて「犯人」と鏡像的関係になるが、それを「片思い」を通じて柄本と鏡像的関係にある林が食い止める。そういう話だと言えるだろうか。)

(追記。柄本佑は、自分が佐久間由衣に「いいところをみせたい」という下心で行った行為が、結果として佐久間に傷を負わせることになってしまったことを後悔している。それ以前の柄本は、佐久間に対して「無名の貢献」をしていたのに、ここでは自分の力---自分の存在---をアピールしてしまった。とはいえ、実際は佐久間からの「頼み」を断れなかった、ということで、自ら進んで存在をアピールしたわけではないのだが。佐久間が傷つけられたという事実に加えて、この「後悔」が柄本の暴走---「制約」の踏み越え---の原因の一つでもあるだろう。)