2022/10/31

●「ドンブラザーズ」、10話まで観た。いやあ面白い。基本的に子供向けの番組なので、作品を構成する一つ一つの要素や、一人一人のキャラクターは、複雑さを持つというよりも分かりやすさが優先される(とはいえ、キャラも決して一面的ではなく、複雑になりすぎない多面性を持つ)。しかし、一つ一つはシンプルな要素が、複雑に組み合わされ、個々の要素やキャラ間、あるいはエピソード間の、相互作用や相互反映によって、とても単純とは言えない多様な含みや陰影がもたらされる。

目まぐるしく展開し、手数が多い。週一で一年続くシリーズなので(まだ完結していない)、10話というのはまだまだ序盤なのだが、次々と新しい要素が出てきて、局面がどんどん変わっていく。

人は、強すぎる欲望によって怪物化するのだが、通常ではポジティブに捉えられる「向上心」や「闘争心」のようなものも、ほんのちょっとした行き過ぎや行き違いで人を怪物化させる。ギラギラした欲望だけでなく、ノスタルジーを伴った悔恨や、自分に感じる不甲斐なさなどもまた、人を怪物化させる。観ていて、これなら怪物化しない人などいないのではないかと思うくらいだ。

(だから、戦隊メンバーの中にも怪物化しそうな人がいる。)

一方、戦隊ヒーロー側のリーダーは、その完璧すぎる能力と真っ直ぐさ(嘘をつくことができない)によって、怪物化してしまうような人の心を理解できないし、戦隊の仲間に対して(結果として、だが)ブラック企業の社長のように振る舞う(「完璧な善人」であることができるだけの高い能力を持つがゆえに、人の弱さが理解できない)。五人の戦隊メンバーの関係はフラットではなく、上下関係と能力差があり、リーダーはメンバーを仲間ではなく「お供(≒家来)」と呼ぶ。メンバーは、貢献度によってポイントが貯まり、つまりポイントにより評価(順位)付けされて管理されている。

戦隊メンバー・システムでは、(自ら望んだわけでもないのに)メンバーになるために高い代償を支払わされる(たとえばヒロインは、自分の作品を盗作だとされて仕事を失い、学校でも「盗作」というあだ名で呼ばれる)。その損失を埋めるためには、ヒーローとして貢献してポイントを稼がなくてはいけない。これは、一方的に奪っておいて、返して欲しければ働けと強制されているわけで、とんでもなくひどい話だ(「まど☆マギ」でさえ、願いを叶えるかわりに働け、だったのに…)。

ブラック労働させられるヒーローたちが、煩悩により怪物化した人間をただ「消去」して済ませようとする脳人に抵抗して、怪物を人へと戻そう(更生させよう)と努力するという、なんとも奇妙な構図になっている。ヒーロー側のリーダーと、脳人側のリーダーが、実はとても似ているという描写もある。

10話では、ポイントを貯めてようやく漫画家に復帰できたヒロインが、自分のかわりに新しく入ったメンバーもまた、自分同様に「盗作」の濡れ衣を着せられて働かされていることを知り、罪の意識から戦隊に戻る(彼女が戻ることで新メンバーは解放され、盗作疑惑も晴れる)。せっかく借金を完済して足抜けできた女郎が、けっきょくまた遊廓に戻って働くことになる、みたいなひどいシステムだ。怖いことにヒロインは、漫画家よりも戦隊こそが自分の居場所だと悟ったかのようなスッキリした表情で、でもこれって「洗脳」じゃないの、と思ったりもする。

(ヒロインが学校で「盗作」と呼ばれているというのはかなり酷い話だと思うのだが、この作品はそれをあくまでポップで明るく突っ切ってしまう。彼女が友人から当然のように「盗作」と呼ばれ、それに明るく応えているのを見る度に心が痛むのだが、一時が万事そんな調子で、深刻になることも停滞することもなく、速いテンポで明るく流していくのがこの作品なのだ。それを観ているなんとも言えない感情は、他の作品ではあまり感じたことのない種類のものだ。)

●暴太郎(あばたろう)というタイトルからも分かるが、ヒーローに変身するのではなく、アバターに乗り換えるという感覚で、だからヒーロー状態が複数パターンあり、それもどんどん増えていく。おそらく、シミュレーションされた仮想世界のような設定で、脳人は、「まど☆マギ」のキュゥべえみたいな位置にあるのではないかと予想される。