2022/11/04

●「ドンブラザーズ」、22話まで。さすがに20話以上も続けて観ていると飽きてくるか、と思いかけると新たな展開がくる。とはいえ、目先がくるくる変わっているだけで、何かが深まっている感じはないと言えるかもしれない。しかしそれでも、細部が蓄積されることで強くなっていくものはある。

(構造が複雑になっているのか、単にとっ散らかっているのか、現時点ではどちらとも言えない。)

ムラマサという、戦いに特化された人工生命というのが新しく出てきて、ヒーロー、怪物(ヒトツ鬼)、脳人、獣人、ムラマサとが戦っていて、何と何とが何の目的で戦っているのかよく分からない感じになっている。一つの戦闘シーンで、ヒーローと怪物、ヒーローと脳人、ヒーローとムラマサとの戦いが同時に行われていたりする。

(ヒーローにとっての第一の敵は脳人なのだが、戦いとは別のいわばプライベートな場面では、三人いる脳人はそれぞれ、ヒーローのうちの特定の一人と関係を深めていく。)

そこで、「ヒーローはなぜ戦うのか問題」が取り上げられる回がある。元ヒーローだったが、その力を私利私欲のために使ったのでその座を剥奪された人が出てきて、ヒーローの一人に「なぜ報酬もないのに危険な戦いを続けるのか?」と問うのだが、それに対しヒーローは「なぜ、なぜと問うのか?」というように問いに対して問いを返す(このヒーローは「風が吹くにまかせよ」みたいな人なのだ)。その答えに納得しない元ヒーローは、自ら怪物化してヒーローと戦うことで、その問いの答えを見つけようとする。けっきょく「なぜ戦うのか?」という問いは宙吊りにされたままなのだが、ここでは「怪物化」が悪ではなく、問いを追求するための一つの手法として使われるという発想の転換がある(「そうくるのか」という意外性がこの作品のなかには多く仕掛けられている)。

「戦う」といっても「敵を倒す」ということではない。ヒーローは、脳人に消されないように怪物を人間に戻す、ということをやっていて、脳人を倒そう(滅ぼそう)としているのではない。脳人にとって怪物の消去は害虫の駆除のようなもので、その邪魔をするからヒーローと戦う。これは相容れない正義=思想間の「相手を殲滅させようとする」争いというより、利害の不一致による「基本的に殺意を欠いた」競合いだろう。この作品では、「脳人によって怪物が消去される」か「獣人によって人が消される」かしない限り人は死なない(ヒーローは、「人が消される」のを阻止するだけで、敵を倒さない)。ただ、ヒーローのリーダーであるタロウは脳人たちの因縁ある宿敵のような存在なので、タロウに対しては脳人の側に殺意が存在する(しかしその一方で、タロウと脳人のリーダーとの絆はどんどん深くなっていくので、殺意は薄まっていく)。獣人やムラマサがなぜ戦っているのかはまだよく分からない(獣人は「戦う」のではなくただ本能に従っている感じで、ムラマサは兵器として開発された人工生命らしいが、誰が何の目的で操っているのか分からない)。

ヒーローたちの中で(リーダーのタロウ以外で)、明確に「戦う動機」を持っている唯一の人物が、後から加わった六番目のメンバー(ジロウ)だろう。彼は幼い頃からヒーローに憧れ、「お前はヒーローだ」という「内なる声」に従ってヒーローとなる。彼以外のメンバーは、一方的(強制的)に「外からの指示」によって選ばれた。理不尽な「不利」を背負わされ、それを挽回するためにポイントを貯めなければならないという状況を強いられる(しかし、働かされているうちに、なんとなくヒーローであることの意義を感じはじめて、ヒーローであり続けることになる)。この「内なる声」に従うメンバーは最大の問題児であり、組織を内側から破壊するリスクである。だが、リーダーのタロウは彼がリスクであることを承知で、「面白い」と言ってメンバーに迎える(組織内にも、制御不能な「敵」がいる)。

(ジャンルの自己言及のような)ジロウ以外のメンバーの正直な「戦う理由」は、ポジティブに捉えれば「やらされているうちに意義を感じるようになった」だろうが、それは「洗脳」と区別がつかない。そして彼らから「意義」を引き出したのが、カリスマとしてのタロウの特異な存在だろう。

彼は、あらゆることを完璧にこなす能力があるが故に「得意なことが一つもない」。完璧な能力を持つ(≒あらゆる場面で他人より優位にある)と同時に「嘘がつけない」から、他人に対して常に上から目線の態度で臨み、他人の評価に関して辛辣で容赦がない(そして、それは常に正しいので反論の余地はない)。そのため、幼い頃から嫌われていて友人が一人もいない。彼と接触する誰もがまずは彼を嫌うが、彼の能力の高さは認めざるを得ないし、メンバーは一緒に仕事をするうちに「嘘のつけなさ」を知り、悪意の無さを知ることになる。自分自身の能力の高さによって満たされているためなのか、彼からは私利私欲といったものが抜け落ちている。彼は自分の能力を自分のためではなく、ただ他者の幸福のために惜しみなく使う。とはいえ、嘘がつけないので(力の差が歴然とあるメンバーたちに対して)常に横暴に振る舞う暴君であり、チームは全く民主的ではない。一面で強い反発があるからこそなお一層、メンバーはこの「無欲な暴君」に惹かれ、彼の存在感によって象徴されるようなヒーローに意義を感じる。

このようなタロウのキャラクター造形の面白さがこの作品の面白さの中心にある。彼への尊敬が、メンバーたちに「理不尽なヒーローシステム」に留まらせていると言えると思う。この点について、この作品がどのような態度をとるのかは、とても興味がある。カリスマに私利私欲がないしとても、カリスマを利用する者には私利私欲(策略)がある。ここに「カリスマ的なもの」の大きな問題がある。タロウのカリスマ性を利用して、理不尽なヒーローシステムを維持・管理しているのはタロウ自身ではないはずだから。