●ちょっとした思いつきだが、カナダのイヌイットの喉歌と、小鷹研の「カニの足の錯覚」は、似ているのではないか。
対面による鏡像的な同期が、わたしでもあなたでもない、第三項としての「鏡面」そのものを立ち上げる、みたいな感じ。なんというのか、対面による鏡像的な同期は、並列的でユニゾン的な同期と違って、遅延を伴った呼応として現れるから、同期よりもむしろズレを生み出し、しかしそのズレは、二人を分離するのではなく(しかし融合するのでもなく)、わたしでもありあなたでもあるが、わたしでもなくあなたでもない、わたしとあなたとを共に写す識別不能な地帯としての「鏡面」的な第三項を立ち上げる、という感じ。
(イヌイットの喉歌をみると、リズムというのは、リズムとリズムとのズレ=呼応のことなのだな、と思う。)
カナダのイヌイットの方々の喉歌。呻きと唸りと吐息が複雑に混じり合ったような、聞いたことの無い音です…!元々は音楽というより女性達の遊びであり、笑っちゃったり、止まった方が負けとの事。微笑ましい。 pic.twitter.com/4EvqXMvDW9
— サカン竜一郎@世界の打楽器 (@wyrm06) 2018年5月6日
●鏡像的同期(ズレ=呼応)が、並列的同期(ユニゾン)になることと、対幻想が共同幻想へと発展することとが対応している、と考えるのは、ちょっと単純すぎるか。
鏡像的な同期において立ち上がる第三項(鏡面)のことを「グルーヴ」と呼んでもいいのだとすれば、鏡像的同期は必ずしも一対一の対面でだけ起きるということでもないのか。