2023/08/30

⚫︎宮沢りえ主演のテレビドラマ版『グーグーだって猫である』を、これは原作とほとんど関係ない話なのだなあと思いつつ、大島弓子の作品をドラマ化するというより、大島弓子という存在をフィクション化する感じの作品なのかと思って、寝る前になんとなくダラダラ観ていたのだが、最終話(第四話)が思いのほかよくて、グッときてしまった。緩やかに、死に向かって、歳をとっていくという感じ。

最終話では、宮沢りえ(小島麻子・大島弓子)の周りから人がいなくなっていく。人がいなくなって、だんだん一人になっていく。最終話はほぼそれだけの話と言ってもいいと思う。第一話では、サバという猫が亡くなり、宮沢りえはとても深いペットロスの状態になる。サバが亡くなる直前、彼女は三人のアシスタントを使って仕事をしていた。そして、ロス状態にある彼女を心配して、担当編集者(長塚圭史)は足しげく彼女に家を訪れ、食事をさせたり、引越し先の世話までする。ここには、他者たちとの濃密な関係がある。新たにグーグーと出会った後の宮沢りえは、(テレビドラマでは直接は描かれていないが卵巣ガンの手術があり)仕事量を減らしているようで、アシスタントは一人(黒木華)になる。それでもアシスタントや担当編集者との親密な関係がある。

三話から四話になるところで、間に十五年の時間が挟まる。十五年後の彼女は多くの猫たちと暮らしており、アシスタントは独立し、仕事は一人でしている(さらに、仕事の量を減らしている、ということだろう)。担当編集者も会社で偉くなり、結婚して子供もいるので、関係が希薄になっている。グーグーは歳をとり、腎臓と心臓に疾患を持つ。そしてある夜、グーグーは、サバが亡くなる直前に見せたものとそっくり同じ表情を見せ、彼女は「これは臨終だ」と悟る。

グーグーの死の直後、グーグーのことを描いた作品で賞を受けた、その賞の受賞パーティーがある。彼女はこのパーティーで、受賞者であるにもかかわらず居場所がない。元アシスタントと再会してもぎこちない。四話は一話の反復でもあるが、一話でサバが亡くなった時の彼女には編集者やアシスタントたちとの濃密な関係と健康な身体があったが、四話でグーグーが亡くなった彼女の周りには誰もいない(身体も弱くなっている)。そして、一人になった彼女の前に現れるのは、漫画家になることを目指していた小学生時代、中学生時代の自分であり、バリバリと仕事をしていた頃の自分である。他者たちが去って一人になり、過去の自分と改めて出会い、共に生きる。彼女は、その事実を肯定的に受け入れるだろう。

この、彼女の周りから少しずつ人がいなくなっていく十五年の間、ずっと彼女の傍にあり、彼女と共にあったのが井の頭公園なのだ。彼女の、猫や他者たちとの関係の変化を、ほとんど変わらない井の頭公園が見ている。このドラマを観て改めて、井の頭公園は素晴らしいなと思った。このドラマの良さの七割くらいは井の頭公園の良さなのではないか。もう長く行けていないが。

(このドラマが撮影された2014年には、はな子はまだ生きていた。)

⚫︎「À Table!」は、大島弓子がきっかけで「はな子」によって出会った、吉祥寺に住む夫婦の話で、このドラマにも井の頭公園が出てくる。井の頭公園は、たくさんの映画やドラマに出てくるが、「グーグー」や「À Table!」では捉え方がちょっと違っている。