2023/09/12

⚫︎どうでもいい話。日本語の歌詞がついた曲を聴くとき、歌詞は極力みないようにする。たいてい、最初は断片的にしか何を言っているのかわからない。日本語なのか違うのかさえ聞き取れないところが大部分だ。しかし、何度か繰り返し聞いていると、だんだん「言葉」として聞こえてくるようになって(この、少しずつ発見していく感じもとても面白い)、さらに時間が経つと、歌詞としての全体の構成のようなものがある程度見えてくる。ほとんどの部分が言葉として聞き取れて、構成も大体わかったが、まだところどころ聞き取れないところがある、という段階になって、初めて文字として書かれた歌詞を読むようにしている。

意識的にそうするようになったのは、もう終了してしまったが「タモリ倶楽部」の空耳アワーで「字幕の恐ろしさ」を感じた時から。うわ、これ、ホントにそう聞こえる、と爆笑したものでも、字幕を隠してしまうと全然そう聞こえないことがほとんどで、「文字」が聞こえる音を上から規定する力の恐ろしいほどの強さを感じた。文字として書かれた歌詞は、音楽とは「言葉の体験」としても全く別物で、それを先に読んでしまうことで「音楽における言葉の体験」の部分が大きく損なわれてしまうように思う。

(たまたま、『歌詞のサウンドテクスチャー』に似たようなことが書かれていたので、これを書いた。)