2023/10/19

⚫︎『空の青さを知る人よ』についてもう少し。両親を亡くした二人だけの姉妹の幼い妹は、常に姉にくっついていて、姉と姉の恋人の関係を傍らから見ている(ここで、バンドの練習にマネージャーのように付き添い「おにぎり」を作って差し入れする、姉と恋人との関係のありようをジェンダーロールとして批判することもできるが、この関係のありようこそが「日本の田舎のリアル」の表現であるとも言える)。幼い妹は、姉の恋人に対して(姉への嫉妬すら生じることのないレベルでの)ほのかな憧れのような感情を抱いており、その憧れの感情が妹の未来(ベーシストであることへの指向性)を決定する。同級生である姉―恋人の関係と、十数年の年齢差のある姉―妹の関係があり、この二つの関係が足し合わせられて、いわば斜めの方向に伸びる姉の恋人―妹の関係が生まれる。年少者である妹と年長者である姉の恋人との関係は、妹から見ると未来の方に伸びている。

十数年の時間が経ち、妹が、姉と恋人とが付き合っていた(そして別れた)年齢になる。姉と恋人との関係の破局は「卒業」により生じる進路の違いであり、幼い妹の世話をする必要のある姉は地元で就職せざるを得ず、東京へ出てミュージシャンを目指す恋人と行動を共にすることができないという理由からだった。そして、幼い頃に姉の恋人に「指向性」を植え付けられた妹もまた、卒業後には東京でミュージシャンを目指すことを希望する。同時に、自分の存在が姉を地元に縛り付け、恋人との破局を招いたという負目がある。そして、妹がかつての姉の年齢に達したというタイミングで、姉の(元)恋人が、ミュージシャンになったとはいえ望んだ形とは程遠い「演歌歌手のバックバンドの一員」として、すっかりやさぐれて地元に戻ってくる。

このような状況の中で、かつて姉の恋人のバンドの練習場であり、今は妹が同じ目的で使っている神社の社の中に、「姉と別れた直後」で、今の妹と同年齢の、姉の恋人の生き霊が現れる。この姉の恋人の生き霊は、現在の(元)恋人から派生しているというより、姉と別れた時に彼が封印した「姉と付き合っていた頃に使っていた特別なギター」というオブジェクトから派生しているようだ。

一方で、「姉(現在)と元恋人(現在)」の関係があり、他方に、「妹(現在)と姉の恋人(過去)」との関係がある。妹(現在)と姉の恋人(過去)とは「同年齢」であり、妹(現在)は、かつての(斜めに伸びた関係において生じた)ほのかな憧れとは違う(水平的関係における)明確な恋愛感情を姉の恋人(過去)に対して持つ。この物語の特徴は、主人公であり「物語の現在」を形作る妹が、姉の反復であり、もっといえば姉の代替物でさえあって、姉(現在)と元恋人(現在)との関係を媒介すると、消滅する媒介者として(事実上)ほぼ消滅してしまうというところにある。この自己犠牲的消滅は、どこか神山版「攻殻」のタチコマを思い出させるものがある。実際に妹が消滅してしまうわけではないが、物語的な位置(役割)としては「姉の恋人(過去)」と共に消滅すると言える。

⚫︎おそらくこの後、妹は上京して地元からは実際に消えるのだろう。「姉(現在)と元恋人(現在)」の関係が再編成され、「姉の恋人(過去)」が消えることで、妹にとっての「姉への負目」は解消され、ただ姉の恋人がかつて彼女に与えた「未来への指向性」だけが残り、妹はこの物語の磁場から逃れて、彼女自身として自分の未来へ進むのだろう。だからこの物語は、妹が「姉の代替物」として行為することを通じて「姉への負債」を返済することで姉から自由になるという物語でもあって、その意味でこそ、彼女(妹)が主役であるのだ。

⚫︎かつて姉―恋人の関係の傍で、姉の恋人を憧れと共に見ていた幼い妹がいたように、今、妹(現在)―姉の恋人(過去)の関係の傍で、(「姉の恋人(過去)」への嫉妬を含んで)妹を憧れと共に見ている年下の小学生男子(姉の同級生である「みちんこ」の息子)がいる。彼もまた、かつての妹と同様に、現在の妹への感情によって未来への指向性が刻み付けられている。だから妹は、彼の未来を作る、彼にとっての指向性の対象として、物語終了後も地元に存在し続けているとは言える。このような、世代を跨いだ未来への指向性の反復が「現在時」の中に埋め込まれていることによって、物語の軸を現在に置きながらも、現在時の中に時間の幅を感じさせることを実現している。

⚫︎かつて姉の恋人は、妹に対して、女のベーシストはかっこいいから、お前は将来オレのバンドのベーシストになれ、と言い、それが幼い妹の「未来への指向性」を形作るのだが、この言葉は「現在時」において、妹が、食中毒になったメンバーの代理として「演歌歌手のバックバンド」でベースを引くことになるという、妹にとっても、元恋人にとっても不本意な、とても皮肉な形で実現することになる。元恋人も、ミュージシャンにはなれたし、ミュージシャンであり続けてはいられるものの、それは「演歌歌手のバックバンド」という不本意な形であるということもそれと同様で、未来の希望は、全く叶えられなかったわけではないが、しかし「望んだもの」とは程遠い皮肉な形で実現されている。このことが、希望が全く叶わなかった場合よりもさらに、重たい屈折を登場人物に背負わせる。しかし、希望が全く叶わなかった場合、現在と過去とが途切れてしまうのだが、希望が不本意な形で実現してしまっている現在は、捩れた形であっても「過去」は「現在」の中に保持されていて、「過去」とのつながりが維持されているとも言える。過去とのつながりが維持されているからこそ、それがもう一度未来へと投射されることで(つまり、「幽霊」として出現した「過去」との関係を作り直すことで)「自分にはまだやりたいことがある」という風に、「現在」を「希望の果て」としてではなく「希望の過程」として捉え直すことが可能になる。それによって、姉(現在)と元恋人(現在)の関係が作り直される。

⚫︎ただ、リアリティとしてちょっと気になったのは、舞台が秩父だというところ。確かに秩父は田舎かもしれないが、東京からそんなに遠くない。新宿からだと、電車でも車でも二時間から二時間半くらいで行ける。休日に気軽に日帰りで遊びに行けるくらいの距離だ。ならば、姉が地元で仕事を持っていたとしても、休日には東京の恋人に会いに行けるし、あるいは、幼い妹の世話で休日も遠出できないという事情があれば、売れないミュージシャンで時間はあるはずの恋人が、時間を作って地元に姉に会いにくることもそこまで難しくない。埼玉は東京に隣接する県で、遠距離恋愛とさえいえない程度の距離だ。高校を卒業して、姉は地元で就職、恋人は東京の大学へ行ってミュージシャンを目指す、となったからといって、すごく遠くに離れ離れになるみたいな感じにはならないのではないか。地元で孤立していたわけでもなく友達も多そうな恋人ならば、同窓会とかがあって地元に帰る機会も多いはず。それまで、学校やバンドの練習で毎日会っていたのに比べれば寂しくなるかもしれないが、だからといって関係が全く絶たれるということにはなるのは不自然ではないかと思った。

(その「微妙な距離」が次第にじわじわ効いてくる、というのはよくある話だが、「卒業」の時点で決定的な別れになるというのは考え難い。)