2023/10/20

⚫︎『空の青さを知る人よ』の姉(あかね)と妹(あおい)の関係をみていて、『すずめの戸締まり』のおばさん(たまき)とすずめの関係を思い出した。あかねもたまきも、あおいやすずめに対して母の代理であり、「代理」であるが故に、過剰に完璧な母であろうとして相当に無理をしている。ただ、たまきが無理をしてギリギリの状態にあることは周囲の人にバレバレであり、すずめもそれを認識しているが、あかねは見た目には完璧に母の代理を演じており、そこには少しの隙もないように見える。

ただしこれは、あくまでもあおいから見て完璧に見えるということで、たとえばあかねの同級生であり同僚でもある「みちんこ」には、あかねの無理やほつれが見えているかもしれない。

そしてこのあかねの完璧さこそにこそ、あおいは強く強く抑圧されている。『すずめの戸締まり』のたまきは、その弱さから自らの思いを吐露して、そしてその結果としてすずめと和解することができるが、あかねは、あおいが図らずも口にしてしまった強い否定の言葉にも、びくりとも揺るぎを見せない。あかねが揺らがないことで、あおいの強い否定の言葉はそのままあおい自身に突き刺さる。『すずめの戸締まり』ですずめを真に束縛しているのはたまきではなく「母の死(震災の記憶)」なので、あかねとたまきとを単純に比較することはできないが、すずめが容易にたまきの元を離れ、一目惚れした男にホイホイとついていくことができるのに対し、あおいは、あかねや地元から離れて上京したくらいでは、その抑圧の圏外に出ることはできないように思われる。

『すずめの戸締まり』のすずめにとって、受け入れるべき過去は「母の死」であり、止まっていた時間を再び動かし、未来を開くものが「男性(草太)」の存在であり(その男性は、「母との記憶=イス」の姿をしているのだが、ここでは、母との生前のポジティブな記憶が、すずめが「男性を獲得する」後押しをしていると読むこともできる)、構造は割合とシンプルである。だが、あおいにとってあかねは、愛と依存の対象であり、罪の意識と抑圧を与えてくる者であり、(慎之助をめぐる)競合関係にある者でもある。あかねと慎之助のカップルは、あおいに、未来の希望(ベーシストであること)を与えると同時に、その破局の原因となった自分へ罪の意識を与える。つまり、未来への指向性と過去への束縛を同時に与える。

この状態を解いて、未来への指向を肯定して、罪への意識を解消するための第一歩は、あおいの心理内の出来事ではなく、現在のあかねと現在の慎之助との現実における再会ではないかと思う。それを画策したのが「みちんこ」だとすれば、あかね-あおい関係の膠着状態に最初に楔を入れたのは「みちんこ」ということになる。

(あかねに対して好意を持つ「みちんこ」は、あかねと、あかねを通じて見られるあおいのことを、その膠着状態を、誰よりも繊細に察知していたのではないか。)

現在のあかねが現在の慎之助に再会する。そのことが、自分の周りに完璧な外壁を張り巡らせていたあかねの無意識に揺らぎを生じさせる(表面上は、あかねはあくまで冷静だが、揺らいでいないはずはないだろう)。そのあかねの揺らぎが、これもまた意識されないまま、非常に深くつながっている「あかね-あおい関係」の中で、あおいに一種の非常事態として感知される。このことが、この非常に複雑に組み上げられた物語の最初の一撃なのではないか。