2022/12/03

●「水星の魔女」、面白い。主人公(スレッタ)は、天然キャラで、母親を無条件で全面的に信頼しているのだが、この母親がすごくあやしいという設定が面白い。母親は、「ガンダムUC」のフル・フロンタルを思わせるようなマスクをつけていて、明らかに何らかの策略を持って娘を学園に入学させているのだが、娘は母に「邪気」があることなど露ほども疑っていない。

(この母親の「あやしさ」を、能登麻美子が本当に見事に演じていると思う。)

スレッタ以外の登場人物の親子関係は、強いパターナリズム的な支配構造にある。ある者は、そのパターナリズムに激しく抵抗し(ミオリネ)、別の者は、パターナリズムに従う優等生の位置から転落し(グエル)、またある者は、パターナリズムに忠実なふりをしつつ、父の考えを旧世代の古いものと捉え、転覆の機会を窺っている(シャディク)。

ガンダムには常に、旧世代と新世代の対立という要素があるが、ここではそれが分かりやすく親子関係として設定されている。主人公以外の親子関係(父娘、父息子)は、まあ、よくあるパターンを踏襲しているのだが、主人公の親子関係にだけ、ひねりが加えられている。この、スレッタと母との関係には、「ガンダムUC」の、バナージ(主人公)と、フル・フロンタルとの関係に近いものがあるように思う。一方に、何の経験も実績もないが、しかし確実に「新しい何ものか」があって、もう一方に、酸いも甘いも噛み分けた、百戦錬磨の強者がいる。

「水星の魔女」で面白いのは、この二者が対立関係にあるのではなく、前者が後者を全面的に信頼しているという状態で、後者がそれを利用して前者を策略のコマとしようとしているという、非対称的な構図になっているところだ。おそらく、前者の無垢な「新しさ」が、後者の狡猾さを食い破って、非対称的な構図が壊れていくという展開になるのだろうが、それが具体的にどのような形で(どのようなニュアンスを持ったものとして)なされるのかという点がとても興味深い。

母親には、この作品世界を牛耳っているベネリットグループ(強いパターナリズムに貫かれている)への復讐の強いモチベーションがあり、娘をその復讐の手段として使おうとしていると思われるが、そもそも、娘の持つ「新しさ」がなければ、その策略が成り立たないという意味で、母親の策略は娘の力(新しさ)に依存している(母は、ガンダムパイロット足りえなかったが、娘は生まれつきガンダムを動かす能力をもっていた)。このような構図は、「ガンダムUC」にはなかったものだ。

母親のモチベーションは、復讐というより、ガンダムの思想(理念)を抑圧する現体制の転覆であり、つまり革命なのかもしれないが、その革命は、旧世代による新世代(新しさ)の搾取という形で構想されている。しかしだとしても、「新しさ」はそうそう、旧世代の都合どおりには動かないだろう(という展開になると予想される)。

ここで母親の娘に対する感情が、今までのところではよくわからない。完全に冷徹に、娘を策略のコマとして考えているのか、何らかの愛情や期待があって、策略が「娘のためになる」と思っているのか(この「わからなさ=あやしさ」が、母親キャラの魅力なのだが)。