2022/12/02

●前々から思っていて、そして益々そう思うようになっているのだが、美談が好きな人は信用できない。そしていわゆる「美談」と「いい話」とは違う。「いい話」とは、その話自体に、(諧謔や、イロニーや、間抜けさや、含羞などにより)自分が美談となることを拒否する(あるいは去なす)ような働きが含まれているような話のことだ。

「いい話」は批評ではないが、美談から批評的な距離をとりつつも(美談へと零落してしまわないように持ち堪えるか力を持ちつつも)、なお、それ自体で積極的に「良いもの」を提示する。

逆に「美談」は、それを受け取る人が、ただ自分が気持ち良くなるためだけにその「美しさ」を消費することを許すような構造になっている。

「いい話」はツッコミを受け入れる柔軟性と、それに耐え得る強さ(余裕)を持つが、「美談」にはツッコミを拒否する頑なさ(横暴さ)がある。ツッコミを入れることは、いい話を楽しむことの一つに含まれているが、美談の機能にはツッコミは含まれない。

「いい話」は、サッカーのボールのようにパスされることで人々の関係をつくるが、「美談」は、共感され、共有されることで人々を結びつける。