2023/05/10

⚫︎『水星の魔女』17話(実質18話)、第二期の入ってから毎回しびれる展開だ。

ベネリットグループの総裁選は、とりあえず、格差と分断の是正を目指す社会改革派であるシャディク-ペイル社連合と、私的動機派である、プロスペラ-ミオリネ-グエル連合(プロスペラはエリィのため、ミオリネはスレッタのため、グエルは亡き父と家族のため)との、二つの勢力になった感じだ。私的動機派は、それぞれの利害の一致によって協力関係にあるが、実質的にはプロスペラに操られている。プロスペラの計画は順調に進んでいるようだが、今後、「エリィの意思」が重要な問題になってくるのではないか。スレッタは母に支配されているとしても、エリィはどうなのか。エアリアルの動きが止まる時にスレッタに「ごめんね」と言ったのは、実際に動きを止めるスイッチをいれたミオリネの声ではなく、エリィの声だった。

(差し当たって、社会改革派と私的動機派との争いは、エアリアルの奪い合いということになるのか。)

『水星の魔女』で、学園の外、あるいは、ベネリットグループのグループ内勢力争いの外を見ている人物は、シャディク以外には、実際に外の世界を放浪してきたグエルしかいない。ミオリネが、スレッタには「ガンダムとか何にも縛られない世界」で幸せになって欲しいと言うのに対して、グエルは「そんな世界はないよ」と言う。スレッタが、仮に母による支配から逃れられたとしても、「この世界」の権力・勢力関係からは逃れられないし、スレッタが、ガンダムに乗っても命を削られないという特殊能力を持っているとすれば、この世界の勢力争いに巻き込まれることは避けられないだろう。だとすれば、「この世界」の勢力関係を書き換えるしかない。グエルがそう考えるとすれば、思想的にはシャディクの方に近いと言えるはず。

とはいえ、グエルは放浪を通じて、自分の圧倒的な「無力」を思い知らされているから、社会の改革といった大きなことは考えず、自分にとって「大切なもの」である、家族と会社を維持することを第一に考えるのかもしれない。

ミオリネには、社会の改革への動機も、権力への欲望もない。彼女にとって重要なのはスレッタであり、スレッタを守るために、プロスペラによる「世界」の改変のための片棒を担がされているに過ぎない。対して、グエルには、シャディクと通じるような、社会の改革への「動機」はある。

(養子であるシャディクには、初めから父への冷静な距離感があるが、グエルには、父―-明らかに問題のある父-―との間に強い支配-被支配関係がかつてあり、それは強い執着でもあり、その点ではスレッタに近いと言えるかもしれない。面白いのは、というか、皮肉なのは、スレッタにとっては呪いの呪文である「すすめば二つ」が、グエルにとっては解放の魔法として作用したということだ。)

プロスペラの狙う「世界の改変」の具体像は未だ見えてこない。ここではとりあえず「私的動機」としているが、もしかするとそのように振る舞っているだけで、彼女の行動は実は「ガルドの理念」と深く関わっているということも考えられる。そうだとすれば、『水星の魔女』では希薄だと思われている「ニュータイプ的主題」が展開されるとになることもあるかもしれない。

プロスペラの世界改変によって担われるニュータイプ的、あるいはエヴァ的な軸があり、シャディクやグエルによって担われる社会改革の軸(「ガンダム的な軸」)があり、ミオリネとスレッタによって担われる個と個の関係の軸(「ウテナ的な軸」)があって、この三つの軸が立体的に交錯しているという全体の構図は変わっていないと思われる。

社会改革の軸だけでは、いわば将棋の盤面での駒の取り合いをしているだけのようなところがあるのだが、それに対してニュータイプ的な軸では、この世界では「新しいもの」が生まれるという出来事が生じるのだし(それは思想かもしれないし、テクノロジーかもしれないし、身体の物理的変化かもしれないし、宇宙そのものの変化かもしれないのだが)、それが否応なしに、権力関係も含めた「世界」を書き換えていくのだ、という側面が表現されている。

(強化人士であるエラン五号が、エラン四号とは対照的なキャラとしてとても「いい味」を出しているが、彼の存在が全体の構図にどのように効いてくるのだろうか。)

ウテナ」で、ウテナとアンシーは学園の外に出る。あるいは「シン・エヴァ」でシンジとマリは「エヴァ的世界」の外に出る。しかし、「そんな世界はない(「外」はない)」というのがガンダムだ。「外」があるとしたら、それは「新しい何か(ニュータイプ)」しかない、と。