2023/11/07

⚫︎ちょっと昨日の続き。『遊動論』(柄谷行人)に書かれている、「氏神」「家」「祖先」という(固有信仰の)話にどうしても引っ掛かりを感じてしまうのは、ぼくが「日本」に住む「日本人」だからなのかもしれないとも思った。この本を、ヨーロッパの学者が書いた北米の原住民の社会を分析する本であるかのような距離で読めば、別にそんなに抵抗を感じることもないのかもしれない。そもそも、現実的な話というより、「抽象力」によって抽出されたものとしての「固有信仰」の話なのだし(そして「柳田國男」論なのだし)。ただ、日本に住んでいると、相当に質の悪い保守的言説に日々触れないわけにはいかなくて、そういうものに対する嫌悪と防衛の構えが染み付いてしまっていて、「家」と聞いただけで防衛機制が自動的に発動してしまうということなのかもしれない。