2023/11/22

⚫︎「このわたし」の固有性について考えるためには、「決して一般性には解消されることのないこのわたし」性というものの「一般的性質(形式)」について考え、その一般的性質によって導かれた《この「このわたし」》について考える必要があるのではないかと、昨日の日記ではほぼ勢いで書いたが、考えてみるとこれはけっこう重要なことではないかと思えてきた。これはつまり、わたしの固有性を捉えるには、遠く(一般性としての「このわたし」の性質)へ行って、もう一度戻ってくる(《この「このわたし」》)という過程が必要があるという感覚で、これは「十年後」(長澤沙也加)という小説を読んだことで得られた考えだと思う。

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ただし、昨日も書いたが、「このわたし」という「一般化できないものの一般的性質」は、どこまでも改訂可能性のある「蓋然性の高さを目指す仮定」として運用されるしかなく(決してメタに至らない未メタ的なままのものであり、だから準一般的性質というべきかもしれない)、試行錯誤を通じて何度でも書き換えられるものでなければならないだろう。

ここで試行錯誤とは、まず「ここ」があり(わたし)、いったん遠くへ行って(「このわたし」の一般的性質)、再び戻ってくる(《この「このわたし」》)、ということの繰り返しというとになろう。

この時、最初の「ここ=わたし」と戻ってきた《この「このわたし」》の間にはズレが生じる。もしかすると前者と後者とは「(字義通りに)別人」である場合もあるかもしれない。