2023/12/08

⚫︎ブランク(空虚)は、余白ではないが、外部でもない。強いて言えば、間隙であり欠落であるというようなものだ。たとえば、晩年のセザンヌの絵画で、絵の具が塗られてなくてキャンバスの地が露呈しているところは、余白でもなく、外部でもなく、ブランクだ。あるいは、カントールの屑で、一本の線分を三等分した間にある空白は、内部でもなく、外部でもなく、ブランクだ。

ブランクは、内部を成立させるために必要な外部であり、だがそれは、内部化された外部ではない。それは決して内部化されない外部であり続けるが、同時に内部の基盤ともなっているようなものだ。

ブランクがなければ内部はなく、だから内部は決して閉じられない。内部にはスケールがあるが、ブランクにはスケールがなく、だから内部は底が抜けている。

以下、『死なないために』(荒川修作、マドリン・ギンズ)より引用。

《空虚と場所の虚構が一緒になった状況が、切り閉じるものの働きによって生じる。彼らの、濃淡の綾をさまざまに調和させる働きを通して。》

《切り閉じてあるものを通して、感覚は、つまり先駆けるものは、空虚の周辺を織ってゆく。場についての場が織られる。個人は、空虚の場の網目(巣)として生きているのだ。個人それぞれにとって、場の網目は、つまりそれが個人に他ならないわけだが、空虚にとどまる。ちょうど、場の網目が場所の虚構を予期させるように、またあるいはそれを育む土壌として働くように。》

幾何学は、偶然、空虚に隣り合わせているにすぎない。》

《全身が知覚であるときでさえも、それはもうひとつの面をそれに対して持っている、空虚というもうひとつの面を。》