2023/12/28

⚫︎ぼくにはどうも、目標に向かって、激しい競争をものともせず、他のことを犠牲にしてでも、ストイックに努力を重ねるということを「美しい」と称賛できないという感じがある。それはけっきょく、「受験」によって植え付けられた価値観なのではないかと思ってしまう。ぼくは、クオリティの高いエンタメみたいなものが苦手なのだが、その理由もそんなところにあるのではないかと思う。このクオリティを成立させ、維持するためには、どれだけの激しい競争と過酷な努力が要求されるのかと考えると、純粋には楽しめないというか、どれだけの人がこの競争からこぼれ落ちてしまったのだろうか、その過酷で過剰な努力を人に課すことは正しいことなのだろうか、と考えないでいることは難しい。もっとゆるく生き残れるような環境で、のびのびとやった方が、ずっと創造性が発揮されやすいのではないかと思ってしまうし、そういうものの方をみたいと思う。激しい競争の場では、創造性よりも(最適化的な)順応性の方を求められてしまうようで、苦しさの方を強く感じてしまう。

はじめから明らかに飛び抜けた才能がある人ならば、過酷な競争の場でこそ最大の創造性が発揮できるのかもしれないが、ほとんどの人はそうではない。