6/21(水)

アパートのちょうど裏で、地区の公民館が解体され、新しく建て直されている。今日、前を通ったら、コンクリートで土台をつくっていた。地面を刳り貫くように掘ったところに、木の板を組んで型をつくり、その型のなかにミキサー車から生コンを流しこんでいる。コンクリートの土台というのはこういう風にしてつくられるのか、と初めて知った。建築現場の作業というのは見ていてとても面白いのだけど、あまりジロジロ見る訳にもいかないので、何度か前を行ったり来たりしながら、横目でチラチラと見ていた。

そいうえば子供の頃、木の柱が露出した、まだ骨組みだけしか出来ていない家の建築現場でよく遊んだという記憶があるのだけど、今から考えると、何故そんなことが出来たのか不思議だ。(ジャングルジムの大きいのっていう感覚だったのだろう。そういえばぼくは、異様にジャングルジムが好きな子供だった。がっちりと構築的であるのに、全く内部が充実していないスカスカな空間。)大工さんが休みの日とか、帰った後とかに遊んだのだろうけど、普通、建てかけの人の家でなんか遊んでたら叱られると思うけど。

小学校に上がる前くらいの記憶で、はっきりはしていない。その頃、家のあたりでは、建て前、という行事が一般的にあって、家を建てるときに、大体骨組みが出来上がったあたりで、近所の人たちを集めて、お酒や簡単な料理などが振る舞われるという習慣があったので、そんな時の記憶と、普通に遊んでいる時の記憶がごっちゃになっているのかもしれない。どちらにしても、建築途中の建物というのがとても魅惑的な空間だったことは間違いがない。

建築途中の現場みたいなものを、そのまま『作品』とするインスタレーションのようものを、どうしても「不純だ」と感じてしまい受け入れがたいのは、実際の現場の方がずっと面白いじゃん、という思いが抜け切らないからかもしれない。(でもそれは、出来上がってしまうと面白くもなんともなくて、ぼくは、建築、というものには全く興味がもてないのだった。)