『きみのこの耳と、ぼくを見ているその目が、きみの中ではつながっているという実感はあるかい? それが全部、ひとつの自分だなんて信じられるかい? 驚くとはそういうことさ』( 星野智幸「 溶けた月のためのミロンガ 」)
ホームページ、依然不調のまま。どこか一箇所直ると、今度は別の場所がおかしくなる。SO-NETの個人ページの容量は5MBまでなのだが、このサイトの総情報量は約4.4MBなので、容量オーバーということは考えられない。きのう、すべてのページを、まるまるアップロードし直したのだけど、それでも駄目。ページに手を加えて。アップしてみようとしても、3度に2度は、アップロードできません、という表示が出る。HPたちあげてから、3ヶ月たつけど、今までこんな表示みたことなかった。一体、どうなってるのだ !!!。
愚痴ってばっかでもしょうがない。
電車で、空いている席に座っていたら、中学生か高校生くらいの女の子5人組みに、囲まれてしまった。2人が隣に座り、3人が正面に立った。うわ、鬱陶しいなあ、と思って、耳をMDで塞いで、寝たフリでもしていようかと思ったのだが機をのがしてしまい、そのままぼーっと表を眺めていたら、耳に入ってきた女の子たちの話が面白くて、聞き耳をたててしまう。
話が面白い、といっても、話の内容が面白い訳では全くなくて、その掛け合い工合が、高度に洗練された話芸という域にまで達しているという意味で、面白かったのだった。
まず、隣の車両に目細君(めぼそくん、いつも電車で会う、アブない奴のことらしい)がいた、という話で始まり、あいついつもこっちをじっと見てて気持ち悪いとか、この前車両を変えたのに着いてきた、げー、キモいーっ、とつづき、それがいつの間にかクラスの女の子の話に移っていた。一つの話題がごく簡潔に、二言、三言で処理され、表面をそっと撫でただけで、滞りなく次の話題へとするすると滑ってゆき、また次の話題も二言、三言交わされるとすんなりと流れて行く。こういう会話が、きちんとした対話になっているなどとは全く思わないけれど、あまりのテンポの良さ、一人一人の発言の的確さ、スムースさに、ちよよっとだけ感動してしまう。
圧巻だったのは、何かの話題の途中で、5人のうちの1人がいきなり川本真琴の『微熱』のあるフレーズを歌いだし、それを受けるように他の4人がそれぞれ次から次ヘと同じ曲の別の部分を、バラバラに、しかも絶妙の間合いで歌い廻し、その間も歌っていない4人は、別の話題で会話をつづけていて、そして、最後に1人が唐突に「 かあさんが、よなべをして・・ 」と歌いだして、またこのタイミングと唐突さが素晴らしく決まっていて、そこで一同が、どっと笑う、というところ。
まるできちんと計算され、練習に練習を重ねて練り上げられたパフォーマンスのようにピタッと決まっていて、拍手してしまいたくなるほどだった。思わぬところで、面白いものを観た。奇跡的な瞬間というのはあるものだなあ、なんて、少しだけ思ってしまう。
でも、すこし冷静になって考えてみれば、計算した訳でも練習した訳でもないのに、ここまで見事に息が合ってしまう、女の子のグループの『同調性』というのは、気持ち悪い、といえば、かなり気持ち悪いものでもある。(話の内容から、どうもこの女の子たちは合唱部かなにからしい。歌がカッコよく決まっていたり、並み外れた同調性があったりするのは、そのせいもあるのかも)
とは言っても、この女の子たちが、人生のなかで特権的に幸せな瞬間にいるということは、確かなのかなあ、とも、考えたりしているうち、降りる駅に着いた。