雪の降っている寒い朝に、家へと向かって電車を待つホーム。こんな日に限って、乗り換え時間の連絡が悪く、長い時間吹きっ晒しのなかに立つ。電車に乗っている時間より、待ち時間の方が長いと、なにか理不尽だという気持ちを持ってしまう。こんな風に思うのは、寒いせいだけではなくて、疲れているせいでもある。ぼくに直接影響があるという事ではないけど、話を聞くだけで気が重くなってしまう事が身近に幾つか起こった。風が舞って、雪がホームへも降りこんでくる。電車は遅れず、定刻通りに来る。
疲れた顔で/ぼくらを見下ろして/笑いましょうよ/
本当は/泣きたいかも/しれませんよ/
サンデー・モーニング・ディア・マイ・フレンズ・・・(くるりサンデーモーニング』)
と、いう訳で、今日は日曜日。と、言ってもぼくには関係ないけど。電車の時刻がいつもと少し違う。
家に着くと、早速、ホームページをいろいろいじってみる。そうしているうちに、昼前にやっとなんとか正常に作動するようになった。多分、これで大丈夫だとは思うけれど、どうして調子が悪くなったのか、どこを直したから元に戻ったのかもはっきりしないので、また、いつおかしくなっても不思議はない。しばらくこわごわ様子を見ながらって感じ。
あまりにもだるい感じなので、1時間だけ眠ってからアトリエへ行こう、と思ったが、起きよう、起きよう、と思っても身体がいうことを聞かず、結局、夜まで寝てしまった。眠ったおかげで多少、肩のあたりが軽くなった。中途半端なので今日は製作は、お休みにした。
唯脳論』というのは、つまんない本だとばかり思っていたけど、次のような鋭いフレーズがあった。
『現実とは、われわれを制約するものに他ならない。したがってそれは、歴史的にはつねに自然だった。しかし、われわれを制約するものは、いまでは脳になってしまった。すなわち、自己の生活を左右できない自己の脳、あるいは、自己の生活を左右する他人の脳、である。(・・・)われわれは、かつて自然という現実を無視し、脳という御伽話の世界に住むことにより、自然から自己を解放した。現在そのわれわれを捕らえているのは、現実と化した脳である。脳がもはや夢想ではなく現実である以上、われれはそれに直面せざるを得ない。』
まあ、現実が『歴史的にはつねに自然だった』とか、『脳という御伽話の世界に住むことにより、自然から自己を解放した』という言い方には違和感があるけど、われわれの前に、《現実としての脳》が、立ちはだかり、それに直面せざるを得ない、という言葉には、切実なリアリティーがある。
当たり前だけど、われわれの脳というのは、目的論的に進化した訳ではない。進化、という言葉には、何か、神によって定められた道を、目的へ向かって前へと進んで行く、というニュアンスが付きまとってしまうけど、つまりそれは、単に突然変移と自然淘汰の気の遠くなるほどの積み重ね、ということなのだ。人間の脳の複雑さとは、言ってみれば、煩雑で行き当たりばったりな変化が、幾重にも複雑に織り重ねられた結果、としての『複雑さ』なのだ。それを後から振り返ってみれば、いかにもそれが合理的で理にかなったもののようにみえる、ということでしかない。だから脳には不必要で無駄な部分も多いはずだし、それが必ずしもシステムとして合理的に作動する(整備されている)とは限らない。
そしてわれわれの認識や行動は、そういう脳の構造自体のもっている、出来の悪さ(合理的ではない不必要な複雑さ)に決定的に規定されてしまっている。われわれが世界から感じるリアリティーというのは、世界の真実というより、ただ脳の構造によるものでしかないかもしれない。
物質としての脳、というか、情報処理器官としての脳のあり方が明らかになりつつある現代、こういう問題は、たんに哲学的な思弁とてではなく、あからさまに唯物的な事実として目の前に立ちはだかる。
しかし、ここで忘れてはならないのは、脳は決してそれ自体として完結したものではない、ということ。脳は、もともと生体維持に必要な感覚器官の神経を束ねる必要に応じて、その機能のために生まれて、それが、その後に複雑化したものだ。つまり生体が存在するための外界(世界)との関係なくして脳という存在はありえない。(当たり前だけど、脳、というのも世界の一部にすぎないのだ)大胆に言ってしまえば、脳が知覚神経を制御しているのではなく、知覚神経の発達のために、脳の複雑化がある、とも言えないことはないのだ。
唐突だけど、画家は、自分の身体(脳も含めて)が、空間のなかに存在することをけっして忘れない。絵画とはそういうものなのだ。そういうものでなければ意味がない。しかし、それと同時に、現代絵画は、身体を複雑に分裂させずには成立し得ない、とも思う。
ところで、今日の日記の、前半と後半は、密接に関係しているのだけど、うまく分かってもらえるだろうか・・・・。(ちょっと混乱しすぎかも)