朝、一駅だけだけど混んだ電車に乗らなければならなかった。階段を降りかけたところで電車が来たので、あわてて走って乗り込んだ。ドアが閉まったとたんに、気分が悪くなり、吐きそうになる。
混んだ電車に乗ったくらいで気分が悪いなんて、何かいかにも神経質で繊細ぶったひ弱野郎みたいで嫌なのだけど、体調があまりよくなかったのと、独特のいろいろ混ざった臭い(今日のは、おろしたての春物スーツから微かに香る防虫剤の臭いと、男性用整髪料、しかも柳屋のヘアトニックみたいな臭いが、薄く混じったものだった。中途半端に薄まった臭いは、濃くてキツいやつよりも一層気持ち悪くなる。)、で、やられてしまったみたい。いそいでかき込んだ朝飯と、そのあとすぐ走ったってのもよくなかったか。
元気な時にはどうってことなくても、体調によってはある種の臭いがどうしても耐えられないことがある。やな汗が額から吹き出し、胃がむかむかし、頭がくらくらする。とにかくしゃがみ込みたかったけど混んでいて出来ず、なんとか一駅耐えた。
感じるか感じないかくらいのうすーい臭いは、鼻から脳を刺激するというより、直接内蔵に作用するのだろうか。人がこぼれ落ちそうなくらいゴッタ返したホームで、柱に寄り掛かってしばらく休んだ。外の空気を吸うと、すぐに何でもなくなる。
《路上に駐車してある車のフロントグラスに、上空を飛ぶヘリコプターが映って、フレームを横切った。》
ぼんやりとにじんだ丸い月を見上げ、眺めながら自転車をこいでいたら、車と衝突しそうになった。急ハンドルを切ってとまる。春の夜の湿った空気。
小高いところから見下ろす夜景。その真ん中を横切ってはしり抜ける電車の窓の明り。規則的に並んでいる四角い光、その滑らかな横移動。
長くてゆるやかな下り坂を自転車をこがずにゆっくりと下ってゆく。
《省略できる時間と、省略できない時間。》