ゴールデンウィーク初日。最近、30を過ぎて初めてデザイン会社に正社員として就職したKさんは、以前、展覧会で会った時、休日の貴重さを説き、ゴールデンウィークの到来を待ち望んでいた。『今まで、なんでみんなあんなもので騒いでるのかと思ってたけど、無茶苦茶重要だよ、まじで。』よく晴れてあたたかく、真っ青な空に大きな雲の塊がいくつか、どかん、と浮かんでる、休日としては最高の天気。しかし、幸か不幸か(多分、不幸なんだろうけど)まだぼくにはそれを実感として感じることができないでいる。
相変わらず、あたらしい作品にとりかかる『きっかけ』というか『とっかかり』を得ることができないまま、日々、茫洋と過ごしてしまっている。たしかに、なにかしら手を動かせば、それなりのものを捏造することはできるだろう。しかし、何か、今までの仕事の延長をそのまま続行することに対して、ちょっとした引っ掛かりのようなものを感じてしまっている。この半端な迷いを脱するためには、『仮の思い込み』のような推進力となるものが必要だ。あくまで、作業に向かうための、作業を組み立てるための『仮設された確信』みたいなもの。思うようにはいかなかったり、先が全く見えなかったりする行為を、ある一定の強度をもって持続させるためには、やはり根拠となる『思い込み』が必要で、でもそんなものは実際には、何の根拠にもならないのだ、ということも、同時に意識していなければいけないだろう。
何かしらの飛躍が必要なのだけど、人は結局、自分の資質に従って仕事をしてゆく他ないのだろうから、どこまでも資質に寄り添いながらも資質を超えて行くことができないのなら、この行き止まりは、いつまでもつづくのだろう。でも、もしかしたら、飛躍を望むこと自体が間違いで、この行き止まりの内部にとどまりつつ、その熱を高めてゆくしかないのかも。
つーか、つべこべ言わずに手を動かせ、で、考えるのはそれからだ、ってのもありか。
それとも、描けないときは、寝てろ、ってのが正解か。