⚫︎『悲劇の解読』(吉本隆明)の宮沢賢治について書いた章を読んでいて、ふと巻末の年譜に目が行き、来年は吉本の生誕百年なのだなあと思う。
前にも書いたことがあるが、一人称現在で書かれた文章においても、語られる「わたし」と語る「わたし」は分離している。たとえば「わたしは今、そうとは意識しないまま頬に手を置く」と書くとき、意識しないまま頬に手を置いている「わたし」と、それを語っている「わたし」は明らかに分離していることが分かる。一人称現在という形でも、主観(意識せず頬に手を置く)と客観(頬に手を置く「わたし」を語る)との両方が織り込まれている(便宜的に「客観」としたが、後者を客観とするのは正確な言い方とは言えないだろう)。映画における一人称カメラと小説の一人称が決して一致しないのはそのためだ。
潜在的には、主観的視点の中に既に主観と客観の両者が織り込まれている。吉本は、常にこのような二重化された感覚への意識が強く作動しているところに宮沢賢治の特質を見出している。例えば「やまなし」について次のように書く。
《(…蟹の視点から全てが語られているようだが)よく読むとこの「やまなし」の描写は、同時に川の流れをあたかも水槽から見ているような位置で観察しているもうひとつの眼の存在なしにはは不可能である。そしてこの眼は無意識のように作品の言表にびまんしている。》
そして、作品によって描かれる空間全体に「無意識のようにびまんする」もうひとつの眼は、そこで起こる出来事を「夢」や「記憶」のような感触にする。
《こういうときに宮沢賢治の作品の景観は、いわば〈記憶〉や〈追憶〉や〈夢〉のように隔離された全体、しかも掌のひらに載せられて眺める光景のように小さく静態化される。》
一方に、主観的に経験されるできごとの生々しさがあり、しかし同時にそこには全体が「掌の上の光景」のように遠くにある感覚がある。この二重化された特異な眼差しにこそ、宮沢賢治の作品の魅力の源泉がある。とはいえ、宮沢賢治にあるのは「ただそれだけ」であるとも言う。
(この論考に付された「童話的世界」というテキストでは、宮沢賢治の特質はそれに加えて、(1)物質的比喩の正確さ、(2)擬人化、(3)現実の光景にユートピア的な輝きを「重ね合わせる」こと、(4)現実と重ね合わされた「ユートピア的」光景が、飛翔して「死後のユートピア」へと移行すること、が挙げられている。)
《宮沢賢治の作品は特異な視線に切り取られた景観の、言葉によるモザイクという領域を出ようとはしなかった。(…)この人工的な景観の面白さにもっとも酔いしれたのも宮沢賢治自身であった。そうでなければ詩と童話のほとんどすべてが、ある意味では燃え上がる空虚といってもよい自然現象の記述に満足されたはずがなかった。》
吉本は、宮沢賢治の特質としてあるこの「燃え上がる空虚」「白熱した燃え上がる空白さ」に、なんとか「メタフィジカルな根拠」を付与しようとする。そして宮沢賢治が語った、『春と修羅』をはじめとする詩作はすべて《私がこれから、何とかして完成したいと思って居ります、或る心理学的な仕事》のための準備であるとする発言を取り上げ、その入り口とする。
《心象のスケッチであるか風景のスケッチであるかは、かれの作品では素材の上で区別できない。「蟹」たちの会話を描いても樹木や鳥や電柱を擬人化しても、子供たちの恐怖感がつくりだす幻想世界を描いても、それらすべてを自然の景観の動きのように視ている眼が、あたかも宇宙の彼方から撒布されてくる宇宙線のように恒常的に存在することが「心象スケッチ」の本質的な意味であった。》
(この部分を読むだけでも、後の『ハイ・イメージ論』における、世界視線や幽体離脱、CGや都市の景観への言及、『ブレードランナー』のフレームの分析など、そのすべてが宮沢賢治を論じる時に現れた主題と綿密かつ直接的に繋がっていることが分かる。吉本が、80年代に訪れた後期資本主義、高度な消費社会に割合と好意的なのは、それが「世界を宮沢賢治化した」から、ということではないか。)
だがそこには、それと「逆比例」するように、人間関係や社会への視点の不在がある。この不在は本人も自覚していたはずだが、それが「資質」であるかぎり自分でもどうすることもできない。《この資質に反立させるような意味でもって、かれの先験的な自己統制機能ともいうべき大乗仏教の信仰の言葉と理念の諸断片が、かなり生のままで作品に導入された》。しかしそれは「生のまま」である以上、宮沢賢治の特異性とはいえない。ゆえにそれを「メタフィジカルな根拠」とすることはできない。
(大乗仏教の「生のまま」の反映には還元されない要素として、宮沢賢治にある「無償」に関する強い思いが挙げられている。この「無償」は単なる自己犠牲ではない。最も弱く、最も蔑まれた、みんなにデクノボーと呼ばれるような者が、明らかに自分よりも優位な、自分を蔑んでいる者らに対して、時に自己犠牲的でもある無償の善行をするときに、宮沢賢治的存在においては、その存在を祝福する、最大限の、居ても立っても居られないほどの強い賞賛の感情が湧き上がる。)
「無償」ともう一つ重要なことに、「雨ニモマケズ」で「ヨクミキキシワカリ」とある、認識能力の強調があると吉本は言う。これを吉本は、ほとんど「超能力」と言えてしまうほどの「察知」の能力だと読む。そしてここにこそ「私がこれから、何とかして完成したいと思って居ります、或る心理学的な仕事」の実相を見る。
《多分これは「法華経」のなかに描かれた如来の属性から着想された。じぶんは無であり遍在しながらすべての事象と人間の心の動きを識りつくし理解することができるもの、その原理ということを、資質や性格や個性という次元から架橋する願望をかれは詩語にしてみたかった。》
宮沢賢治はウィリアム・モリスに影響を受けたが、モリスのように社会組織の革命による構造変革で実現するユートピアという考えはなかった。ここで宮沢賢治が重要視したのが「察知の能力」であると。
《(…)「正しく清くはたらくひとは、ひとつの大きな芸術を時間のうしろにつくるのです」というのは宮沢賢治の主張とみなして大過ない。(…)すべての芸術はだれでもが生活そのものににおいて眼に視えない形でのこしている。「みんなはそれを見ないかもしれないが、わたくしはそれを見る」というのが宮沢賢治のモチーフだ。》
《もうひとつの特徴は「すべて私に来て、私がかがやかすものは、あなたをもきらめかします。」とか「私はどこへも行きません。いつでもあなたが考えるそこに居ります。」というマリヴロンの言葉に象徴されている。(…)これは〈如来〉の仏性は誰にたいしても平等に、時間と空間を超えて瞬時に与えられるものだという理念を借りたものとみなされる。》
《(…)かれはこれを「心理学」上の〈察知〉の能力(あるいは超能力)とみなしたふしがある。この〈察知〉の能力を究極まで身につけることができれば、自在に瞬時にすべての善性は何人のところへも行けるのだし、もし如来性というものがあるとすればそのような能力として普遍的に、この時空世界を満たしているものだというように。そのように〈察知〉ができる能力を身につけることによって「灰色の労働」だけでなはく、日常の生活の所作すべてもまた芸術として感覚することができるようになる。これがかれのユートピア構想の要であった。》
つまり、このような(「心理学的」な仕事としての)ユートピア構想こそが、主観の中に予め織り込まれた「言表全体にびまんする第二の眼」によって世界が記述されるときに生まれる「燃え上がる空虚」の「メタフィジカルな根拠」である、と。
⚫︎おそらく八十年代後半に買った本だ。それから4回引っ越ししたが、ずっとついてきたということか。