●7日の日記に引用したことと関連することを吉本隆明が喋っているのをみつけた。古い日本の歌と現代詩の関係。吉本隆明はこういう分析の仕方が面白い。《ふたつの非常に類似した言葉を並べることによって、あいだに想定したポエジーの空間》。「枕詞の空間」(吉本隆明の183講演)。
https://www.1101.com/yoshimoto_voice/speech/sound-a039.html
《(古い日本の詩のなかで) 例えば、「瀧」っていう言葉を詩の中に歌い込みたいっていう場合には、大昔においては、「しらいと」なら「しらいとの」っていうような言葉を上にかならずくっつけるっていうような、そういう習慣があったと、それから、例えば、「海人」っていう、漁師ってことですけど、「海人」なら「海人」っていう言葉を詩の中に織り込みたい場合には、かならず、その前に、「なみしなふ」なら「なみしなふ」っていう、そういういまではあんまり意味がはっきりしなくなっちゃった、そういう言葉を、とにかく、しかし、くっつけるっていうような、そういう習慣が詩に限って、かならずあるっていうような、例えば、それから、「雉」を詩の中に歌い込みたい場合には、「さ野つ鳥」っていう、そういう言い方を、かならず、頭にくっつけるんだっていうような、そういう習慣があった。それから、「鶏」っていう言葉を詩の中に歌い込みたい場合には、「庭つ鳥」っていう言葉を、かならず、その上にくっつけるんだっていうような、そういう習慣があったっていうことがわかります。》
《そうすると、「庭つ鳥」っていうのと、「鶏」っていうようなものとは、まったく同じじゃないか、同じものを指しているじゃないかってことになるわけです。どうしておんなじものを2回、おんなじことを、つまり、言葉こそ違え、「庭つ鳥」っていうのと、つまり、庭にいる鳥でしょ、あるいは、庭に遊んでいる鳥でしょ、それと「鶏」っていうのは同じじゃないか、だから、同じことをどうして詩の中で2回も言わなくちゃならないのかってことは、まったくよくわかりません。》
《例えば、「鄙」っていうのは、村里です。「鄙」っていうことをいう場合には、「天離る」っていう言葉を頭にくっつける習慣があったと、そうすると、「天離る」っていう言葉は、どういう意味かなっていうことは、まったくわかりません。これは、仮にこういう言葉があててありますけど、こんなのはあてにならないですから、全然わからないです。だから、とにかく、村里っていうことをいう場合には、歌い込む場合には、「天離る」っていうのをいれる。》
《ですから、いずれにせよ、それじゃあ、ある言葉が、詩の中に入ってきた場合には、それに対になる言葉は、どうしても含まれることになると、そうすると、それは、ひとつの習慣でもあり、また、あるいは、その習慣をよくよく探っていくと、なにかあるかもしれないけど、しかし、それはひとつの習慣である。それから、また決まりである。そういうようなことで、疑問をもちながらも、そういうふうに理解してしまうっていうのは、つまり、そうしてしまいたいわけです。しかし、そうしてしまいますと、いろんな意味で不都合になってくるんです。不都合なことがあるわけです。》
《つまり、われわれがそうしてしまうと、なぜ、大昔にこうであり、そして、いまならば、いまの詩人は、こういうことは、無駄なことは絶対にしないっていうようなふうになってしまっているわけです。それじゃあ、かならず、それが必要であったんだっていう時代と、それから、まったく、いまだったら、こんな無駄なことは絶対にしないんだ、ましてや、たとえば、「庭つ鳥鶏」みたいに、どうして同じことが2つ繰り返さなきゃならないのかっていうような、そういう非常に大きな疑問なんですけど、大きな疑問っていうのを、それを大昔にそれは終わったんだから、こういうのは死んでしまったんだから、それはどうってことないんだと、いま、われわれが詩を書く場合に、そんなものは全然問題にしていないっていうふうに言ってしまうことになってしまうわけです。》
《つまり、そこのところを今度は逆に、現代詩の世界にもってくるとします。そうすると、そこはものは考えようなんですけど、考えようでいきますと、こういうふうに考えたら、現代詩と、例えば、「庭つ鳥鶏」みたいな言い方を大昔にしたっていうことと、現代詩の、現在、書かれている詩の世界っていうものとの、関連付けっていうのを、どうしても、強引にしたいっていうふうに考えた場合に、ひとつだけ手立てはあるというふうに考えられるのです。
それは、どういうことかっていうと、「庭つ鳥鶏」っていった場合に、同じ言葉を頭にくっつけて、それで、続けるっていう習慣があったのではなくて、上の「庭つ鳥」っていう言葉と、下の「鶏」っていう言葉の間には、無限の空間があったっていうふうに、考えたらどうなんだっていうことなんです。
つまり、どういうことかっていいますと、つまり、大昔の人が詩を書いたっていう場合に、詩を書いて、例えば、「庭つ鳥鶏」っていうふうな表現をした。その場合に、「庭つ鳥」っていう言葉を、その大昔の人が言わざるをえなかった。そういう、ある意識の状態があったとします。あるいは、意識内容があったとします。
その意識内容は、現在では、まったく伺うことはできません。その意識内容が信仰に関するものであったのか、風景の美に対する感覚であったのか、それはわかりません。しかし、ある「庭つ鳥」っていう表現をせざるをえなかったときに、あるひとつの意識内容があったと過程します。それは、現在ではわからない意識内容です。
しかし、その、現在ではわからない意識内容があって、しかし、その意識内容が、次に、「鶏」っていう言葉を、言葉の表現を喚起した、つまり、呼び起こしたっていうふうに考えたらどうなんだっていうことなんです。》
《例えば、「春日の春日」っていった場合に、これを近世以降の理解の仕方によれば、これは、声調を整えるため、つまり、音韻とか、韻律を整えるために、強調するために、「春日の」っていう言葉をくっつけたんだとか、「眞蘇我よ」っていう言葉をくっつけたんだっていうふうになっていますけど、それから、これを強調するためにそうしているんだっていう言われ方になっていますけど、それは、疑えばいくらでも疑えるんです。
ですから、そこを疑うことにして、「春日の」っていう言葉をいって、喚起される意識内容と、それから、意識内容が、次に、「春日」っていう地名を誘発するんだ。それで、「眞蘇我よ」って表現をした場合には、それは、現在ではわからなくなったけど、ある非常に、具体的な意識内容が、ちゃんと喚起されたんだと、それで、その喚起された意識内容が、次に、「蘇我の子」っていうような言葉を喚起するんだっていうふうに、そういうふうに理解したとすれば、この中間には無限に充実した意識の空間っていうものが、充実した空間っていうのは、ここに想定することができるわけです。》
《つまり、そういいますと、「春日の春日」とか、「眞蘇我蘇我の子ら」っていう場合に、この両者の、つまり、あい続けて詩の言葉になっている、両者の間にある意識空間っていうもの、その空間だけを、時代が下ってくるにつれて、意識空間だけを非常に拡大していったっていうような、それが例えば、現代詩だっていうふうに考えたとします。そういうふうに考えたらどうであろうか、そうすると、そういう大昔の詩っていうものと、現代の詩っていうものとは関連がつくんじゃないのかってことを、ぼくは言いたいわけなんです。》
《例えば、吉田一穂の『海と聖母』から「母」っていう詩で、これは短いからもってきただけで、なにもいいからもってきたわけじゃないです(会場笑)。そうすると、これは、たとえば、昔の人だったら、「たらちねの母」っていう言い方をするんです。「母」っていう言葉を詩の言葉の中に入れたい場合には、「たらちねの」っていう言葉を上にくっつけるっていう習慣があったんです。
そうすると、「たらちねの」っていう言葉は意味がわからないんです。当て字だと、お乳が垂れている根っこって書いたりしてるんです。そんな馬鹿なことはないんです(会場笑)。それは音の意味しかない、そんなデタラメ、それは嘘です。そんなことは関係ないです。》
《しかし、われわれは感じることができないです。つまり、たらちねの母がなんとかしたっていうような、そういう歌を詠んだって、ちっともポエジーを感じることはできないです。そうなっちゃってるんです。しかし、その時代の人にとっては、それは、あきらかにポエジーを感ずるものであったわけです。
そうすると、われわれは、たとえば、吉田一穂の「母」っていうのは、この中間にある、眼に見えないポエジーの空間っていうものを、言葉に定着していくことと同じなのです。だから、


あゝ麗しい距離(デスタンス)
常に遠のいていく風景…


悲しみの彼方、母への
捜り打つ夜半の最弱音(ピアニシモ)。


これは、むずかしい詩のように思えるけど、しかし、根本的には情緒は簡単なことで、つまり、母親に対する遠い郷愁みたいなものを歌っているわけです。情緒としてはそうです。それで、「デスタンス」っていうのは、自分との距離です。自分が母親のイメージを思い浮かべている、その距離の遠さ、追憶の遠さとか、そういう遠さと、それから、懐かしさっていうのは一緒であるわけです。つまり、常に遠くに、記憶へ記憶へっていってしまう、そういう風景の中に母親がいるっていうことです。そういう母親の映像を自分が思い浮かべている自分の意識、心の状態っていうのは、要するに、非常に弱音で、夜中に、最も弱いピアニシモでピアノを打って、捜りながら打っている。そういうイメージなんだっていう、それは、「たらちねの母」とまったく同じなわけです。
われわれが「たらちねの」っていう詩語が歌の中にでてきても、詩を感ずることはできないけれども、そういうのが、まったく当然、詩を感じていただろう時代の人が感じていただろうポエジーっていうものと、それから、吉田一穂の「母」なら「母」っていう詩とは、まったく同じだっていうことです。
つまり、同じだっていうことは、現在、わからなくなったポエジーの空間っていうものを、いわば、現在的に再現しているのが現代詩じゃないのか、それを言葉で再現しているんじゃないのか、いまはわからなくなった、そういう言葉に固執しないで、ただこの空間にだけ固執しているのは、現代の詩じゃないのかっていうふうに考えたらどうなんだろうかっていうことなんです。》
《たとえば、これは。宮沢賢治の「林と思想」、これも短いからもってきたっていうだけですけど、


そら ね ごらん
むかふに霧ぬれてゐる
蕈のかたちのちひさな林があるだらう
あすこのとこへ
わたしのかんがへが
ずいぶんはやく流れて行って
みんな
溶け込んでゐるのだよ
  こゝいらはふきの花でいつぱいだ


っていう場合に、たとえば、この根源的な情緒っていうのは、昔の人の言い方でいえば、「霧」っていう言葉をいう場合には、「ほのゆける霧」っていう、あるいは、「いさらなみ霧」っていう、「いさらなみ」っていう言葉を上にくっつけるわけです。くっつける習慣があったわけです。だから、昔の人が、昔の詩のなかに、霧っていうことの情緒っていうものを、あるいは、イメージっていうものを歌いたい場合には、「いさらなみ」っていう言葉を上にくっつけて、詩語のなかにくっつけて入れているわけです。
そのときの情緒っていうものと宮沢賢治の「林と思想」っていう詩の根本的な情緒っていうのは、まったく同じで、ただ、彼らが自明の理として考えた、眼に見えないポエジーの空間っていうのは、そういうふたつの非常に類似した言葉を並べることによって、あいだに想定したポエジーの空間っていうもの、その眼に見えない空間だけを再現しようとして、それから、結果を拒否しようとしているのが現在の詩であって、その眼に見えない空間だけを文字として表現しようとしているのは、現代の詩なんだっていうふうに考えるとしますと、それは、現代の詩っていうものに対する、観点化するひとつの一貫した考え方っていうものができるのではないかなっていうふうに思えるわけです。》