●引用、メモ。枕詞、均衡、比喩、興、魂鎮め。『日本人は思想したか』(吉本隆明梅原猛中沢新一)より。
吉本隆明
《枕詞には不思議なところがあって、同じことを二度繰り返している枕詞というのがあるんです。たとえば春日(かすが)の枕詞は「はるひ」、「はるひの春日」といいます。これは要するに、その土地の名前をふたつ言っていることになります。もっと例を言うと、「相模」の枕詞は「さねさし」ですね。枕詞の意味というのは近世以後いろいろ言われているけど、僕はそれはアイヌ語のタネサシと同じで、つまり突き出ている岬というような意味になると思うんです。これも同じ地名をふたつ重ねているという意味をもちます。そうするとタネサシと言っている種族と、同じところをサガミと名付けた種族がいて、枕詞が同じ地名を重ねているところは、それが共存している均衡点ではないか。》
《(…)同じ地名をふたつ重ねているような枕詞があると、それは先住の人たちと後住の人たちが同じような地域でさして争いもなく一緒にいたということを象徴するのだろうと思うんです。それからだんだん枕詞も、ある言葉があるとその上に付く言葉が枕詞となり、どういう意味があるのかほんとうはよくわからないんだけど、ただ上に付くことだけは確かだというふうにだんだん変わってくると、今の日本に直通するような日本らしさというふうになってきたと思うんです。》
《そうすると、歌の推理の仕方も変わります。賀茂真淵とか折口信夫の言い方は、初め『古事記』の片歌というか、要するに五七七とか四七七というのがひとつあるとすると、四七七なり五七七という同じ構造でくっつけるのが歌の始めだ、という結論なんですね。だから、片歌をふたつくっつけたのが歌の始めだと見れば、それを枕詞でいえば、同じ地名をふたつ重ねて枕詞になってるという均衡点と同じことを意味するんじゃないでしょうか。》
中沢新一
《(…)吉本さんが和歌の成立のところでおっしゃった、和歌というのは訳のわからない部分をかかえていて、それは部族間の調停点であったり、あるいは違うリズムを持った社会や政体が出会った時に、調停点を探ることの中から、そのふたつの異質なものの出会いを通して比喩が形成されることと関係あるらしい。「ひさかたの光」という比喩を日本人が美しい、よくできたというふうに感じとったとすると、それは違うもの同士が出会った時の複雑な生理の差異を比喩がそこで調停しているのだろうと思います。ところで和歌の中に存在するそういう感覚と、同じ日本語を使いながらも、近代の詩の中で、あ、これはいい比喩なんだと言われているものと何らかの形で連続性が存在しないと、枕詞論を書く吉本さんと現代詩論を書く吉本さんの連続性はあり得ないというふうに僕は感じるんですが、どうなんでしょう。》
吉本隆明
《僕は感じ方の連続性があると思うんですね。たとえば現在の日本語で現在書かれている詩の中のいい比喩、悪い比喩に、もし暗黙の合意点があるとすれば、一番最初の日本語の比喩の使い方がそうだと思います。
(…)日本語はもともと自然との交換を使わなければ言おうと思っても何も言えなかったんだよ、というところが最初にある。つまり、とても古い日本語の場合には、なにか具象的なものの描写をすることでほんとに言いたいことを言うというやり方しかなかった。それはいまから考えて比喩なんだけど、その頃はそうじゃなくて、比喩のほうが本当であって、本当に意味することは隠れているというようなものが一番最初にあった。そのために、たぶん現在の日本語で書かれている詩の比喩の合意点というのが成り立っているんじゃないかと思うんですね。》
梅原猛
《それで今の吉本さんの話で大変面白かったのは、現代詩は比喩である、という理論ですけど、人麿に即していえば、これは中国からの思想ですけど、三つの詩の形態がある。それは比と興と賦だ。賦はだいたい主観的な、自分の思いを述懐したもの。比というのは人間のものを何か自然に比喩する、たとえる。ところが問題は興なんです。興というのは自然と人間の交錯をうたう。だから比喩ではないんですよ。それぞれ自然と人間は独立しながら、どこかで結びついている、共鳴している。『詩経』の詩の中に比も賦もあるけど興の詩がとりわけすぐれていて、人麿の詩はほとんど興なんです。》
《それからもうひとつ、魂鎮めのことですが、これはやっぱり詩の非常に重要な要素である。『万葉集』編纂の意図そのものが人麿の魂鎮めにあった。そして五百枝王というのが『万葉集』にかかわっているという証拠があるんですけど、これは早良皇子と友達で、大伴家持の魂鎮めだと。》
●ここで、吉本隆明の言っている《具象的なものの描写をすることでほんとに言いたいことを言うというやり方しかなかった》という意味での(結果的な)「比喩」と、梅原猛が《比、興、賦》という区別で言っている《比》としての「比喩」とは、意味が違っていると思う。吉本が言うように、最初の日本語において、言いたいことを言うには「具体描写」で表現するしかなかったという意味で「比喩しかなかった」場合、それは比、興、賦、と区別されたなかの比としての比喩ではなく、そもそも、考えや思い(言いたいこと)と出来事(光景)の区別がないということになるから、あらゆる言葉が常に「興」となる、はずだろう。つまり、「興」としてしか言葉がなかった、ということになるはずだと思う。