2024-08-26

⚫︎昨日の日記をきっかけに、本棚の奥から埃を被った『批評とポストモダン』(柄谷行人)を取り出してきた。福武書店刊。1985年4月25日二刷発行と書いてある。そして当のテキスト、「モダニティの骨格」は1983年9月に「日本経済新聞」に掲載されたとある。約40年前。このテキストは、《私がむしろ信用するのは、「体系」とはべつに活きている吉本隆明のモダニティの骨格であり、経験としての思想である》と締めくくられる。つまりこのテキストは、『マス・イメージ論』という本は批判しているが、吉本隆明という存在は基本として肯定している。なるほど。

ここで柄谷は、『マス・イメージ論』の「体系」は、『言語にとって美とはなにか』において目指された体系の反復であり、それは《表出(疏外)を媒介として自己と世界(全体)が円環的につながれてしまうような体系(ヘーゲル的な)に他ならない》とする。《吉本氏自身が六〇年代に『言語にとって美とはなにか』で、この困難にとりくんだことは誰でも知っている。その時点では、この虚構の体系の設定に画期的意義があったことは誰でも認めるだろう。》だがその「体系」を「ポストモダン」的な現象に適用するとき、それはなにを意味するのか。

《…まことに奇妙なのは、吉本氏の思考と方法が完全に《モダン》であるということだ。それは脱構築という「モチーフ」をさえ、自己表現(自己了解)に回収しようとする。わかりやすくいえば、吉本氏は、六〇年代の『言語にとって美とはなにか』の論法で、まさにそれを脱構築しているのかもしれないサブカルチャーを「理解」してしまうのだ。(…)救出されたのは彼らではなく、吉本隆明の「体系」である》。

うーん。いやいや、それはどうだろうか、と思う。ポストモダンな現象をモダンに論じようとして、どうしようもなくグタグタになってしまうという、その「グタグタになってしまう」ことによって、(自らの、かつての「体系」を救うというより)まさに身をもって自己解体を生きているのではないかと思うが。

とはいえ、柄谷は、吉本を簡単に切って捨てたりはしない。吉本が「モダン」であることを積極的に評価する。

《むろん私は、吉本隆明の《モダン》を、近代主義進歩主義と混同したりはしない。私のいう《モダン》は、「近代批判」をふくんだものである。《すくなくとも挫折の予感にさいなまれずに〈世界〉をあらかじめ把握することはできない。これがわたしたちの本質的な〈推理〉の当面している運命だ》(推理論)。だが、これは六〇年代にほとんど吉本氏だけが感知していた「運命」であって、少なくとも私はそこから出発した。(…)吉本氏の本当の敵は、氏が相対的に支持するふりをする《ポストモダン》にほかならない》。

柄谷は、自らをいったん(当時の「現代思想」にのっとって)モダンを脱構築する側に置き、モダンなやり方でしかポストモダンを分析できない吉本を批判する。しかしすぐに、ポストモダンはすでに行き詰まっていることを示し、そこで再びモダン(=外部)への回帰の必要性を説く。そのとき、いわば「遅れてきたポストモダニスト」としての吉本ではなく、《モダニストの骨格》を持った吉本を肯定する。

《たとえばボードリヤールは消費社会についてこう考える。そこでは「真実、照合、客観的原因、それがもはや存在しない」。彼は、現代社会を記号体系の閉じられた円環とみなす。それは無限反復を繰り返す鏡の部屋であって、そこではすべてが写し合いであるから、何がオリジナルで何がコピーであるかいえない(決定不能性)。この「メビウスの環」の中では、全てがシュミラクルである》。

《…少なくともここには(哲学者に向けられた)悪意が感じられる。それは、西洋の形而上学を解体するのは、その内部での「戦略的」(馴れ合い的)批判ではなく、また超歴史的(形式的)な批判でもなく、歴史的に進行する消費社会(ポスト産業資本主義)にすぎないのではないか、という暗黙の主張である》。

《《ポストモダン》は、もはや思想的な事件ではあり得ず、ポスト産業資本主義の急速な進行のなかに吸収され、むしろそれを促進する格好のイデオロギーと成り果てたのではないか》。

《それは、私を「形式化」の始点に送りとどける。いいかえれば、そこで還元されてしまった《外部》についての再考を強いる。ある意味では、それは《モダン》について再考することであるかもしれない》。

で、吉本の《モダニティの骨格》を評価するということで、テキストは閉じられる。ここで書かれているのは、(1)昔の吉本は偉かったが『マス・イメージ論』はいかがなものか(モダンな吉本が無理してポストモダンを評価しようとしている)、と、(2)ポストモダンは形骸化した、自分(柄谷)はその外部について考える、ということだろう。流石に柄谷は「はやい」というか、83年の時点で、もうポストモダンは終わったと言っている。

⚫︎『マス・イメージ論』という本では、いわば無理やりに《六〇年代の『言語にとって美とはなにか』の論法で、まさにそれを脱構築しているのかもしれないサブカルチャーを「理解」し》ようとすることで、その論法(モダンな「体系」)の方こそが「脱構築」されて崩れていくさまが現れている。柄谷はこれを、モダンな吉本の堕落のように捉えている。83年の時点ではそうとしか見えなくても仕方がない。しかし事後的に見れば、『マス・イメージ論』はそれ自体は面白くないとしても一種の準備作業のようなものとしてあり、その先の『ハイ・イメージ論』へと、さらにその「体系」をグダグダにしてまで果敢に進んでいく。それは「軽薄なポストモダン礼賛」を軽く超えていくものだ。

(追記。『言語にとって美とはなにか』は、1983年当時の「現代思想」の常識、つまりソシュールとは相容れない。それは吉本が独力で築き上げた立派な「体系」だが、独自すぎて当時の世界的な思想のモードと接合できないものだった。ただし、現在の言語学的な知見から見てみると、ソシュールよりも吉本の方が新しく見えるのではないだろうか。時代はめぐり、常識は変わる。)