●土曜にある、「からだは戦場だよ2018Δ(デルタ)」のトークセッションのためにパワポでスライドをつくっているのだが、ボリュームがどんどん膨らんでしまっている。
https://vimeo.com/306734831
どうせ、これを全部発表することはなく(全部やったらトークセッションではなく独演会になってしまう)、時間をみて適当に収まりのいいところでやめることになるのだが、はじめてしまった以上(膨らんでしまった以上)、最後まできちんとやり切らないわけにはいかないので、これを終わらせるには、二、三日はたっぷりかかってしまうなあ、と。
●スライドのために『ハイ・イメージ論』(吉本隆明)をパラパラと読み直すのだが、とても面白い。こういう風に書いている人は、今、いないと思う。これといった説明もなく、独自用語、独自概念、独自文脈が頻出する。根底にあるのは、吉本本人の「現在」についての直感であり、実感であろう。誰でも、本当はそうなのだと思うが、それを(学問的、歴史的、文脈的など)なにかしらの根拠による後ろ盾をたてることによって補強するのではなく、独断をあくまで独断としてたてながら、その独断そのものを、さらに独断を重ねながらも執拗に追求していくこと、その過程こそを根拠とするような文章になっている。吉本の文章は、明快に理解することはできず、その独自用語、独自概念、独自文脈の鋭さにかきたてられ、刺激を受けながらも、それは決して腑に落ちきることはなく、切れ味の鋭い思考に触れることの高揚と、かみ砕けず口のなかに残る異物感、その納得できなさが入り交じる展開を追うことになる。
その文章は、テキストの精緻な読みとか、理論の体系的な理解とかとは別の読み方を要求しているように思われる。それらとは別次元へと向けて投写される思考であり、別次元でこそ像を結ぶ何かをこそ読み取ることを強いているように思われる。
(とはいえ、ひとまずはそれを、論理的に整合性のあるものとして、強引に読み解こうとすることが必要であり、それを通じて、それを読む者に別の思考を促すことになるのだと思われる。)