●引用、メモ。『源氏物語』と四季の設立、空間化、花札、国土の掌握。『日本人は思想したか』(吉本隆明梅原猛中沢新一)より。
吉本隆明
《やっぱり物語のなかでは一番好きで、よくできていると思います。僕は『源氏物語』のもとになっているのは『宇津保物語』で、一方ではやっぱり『蜻蛉日記』みたいな日記文学的なものが、これは歌物語の延長線上で入ってきていると思います。そのふたつでできているんだろうというふうに思うんです。》
《そういうことと、僕らか感ずるのは、これは文化という問題に関連するんでしょうけど、どう言ったらいいんでしょう、日本列島の中心と言うんでしょうか、『古今集』も同じですが、春夏秋冬という季節が天然自然としてあるんだということを初めてきちっと言っちゃってるんじゃないかと思うんです。つまり光源氏が花散里婦人をこっちの冬の庭のところに置いてとか、夏の庭のところに置いてとか、庭を四つに区切って、春の庭には自分がいてとか、そういう区切り方をしちゃう。庭を全部、四季の花で代わりばんこに移るようにつくるみたいな。だから桂離宮の原型なんでしょうけれども、そういうのを『源氏物語』が初めてつくるわけです。四季感をつくっちゃってるということが僕はすごく重要な感じがするんです。》
《日本列島は、本当はそうじゃない。そこが不服といえば不服なんですけど。つまり、日本列島の南のほうだとだいたい常夏的な物語しかないんですよね。それから北のほうだと、冬だけとは言わないですけど、秋と冬みたいなのしかない。でも、あそこで完全に、日本というのは四季があるんだよというふうに初めてつくっちゃった気がするんですね。それは一面ですごいことだなと思いながら、一面では不服だなと思います。夏だけの話とか、夏だけの感じ方とか、冬だけの感じ方というのは、そこいらへんでどうにも影が薄くなっちゃったという感じがしてしょうがないんですけどね。そうすると、日本列島を構成している古いものというのはそこですっ飛んで、やっぱり中央に四季がきちっとできた、そういう文化とか文学とかいうものがきちっとつくられちゃったみたいな気がするんですね、》
《たとえば秋、紅葉みたいなのがあるでしょう。本当に紅葉が秋きれいなのは東北なんですよ。ものすごいんですよね。あの世へ行ったみたいに燃えるような原色がバーッとあって、わあっと思うんだけど、『源氏物語』に出てくる秋の紅葉というのはそんなに鮮明な色ではないんです。やっぱり霧がかった色なんですね。あれをつくっちゃったというのは、日本の文化をつくっちゃったということなんだと思うんです。その代わりに、南のほうと北のほう、常夏のほうというのはなくなって、冬ばっかりというのもなんとなく文化から外れさせられたような気もするんですね。だからいろんな意味でぼくは『源氏物語』というのは偉大だなと思いますね。》
中沢新一
《『源氏物語』の季節のつくり方というのは、お屋敷の中にも区切りがあって、ああこれは空間としての季節だなという感じがするんですね。同じ季節感でも『枕草子』なんかが表現しているのは、空間性のことは意識的に排除しようとしているところがあると思うんです。季節は彼女にとって自然に、意識もせずに時間に沿ってやってくるもんで、その瞬間瞬間に何か感じるところがある。
僕は『源氏物語』を読んだ時、発想が男みたいだなと思ったことがある。そういう空間化していこうという意志がとても強いんで、でもこれを突き詰めていくと花札に行っちゃうだろうと(笑)。紅葉と言ったらすぐそこに鹿を描く。僕、花札とても好きですけどね。あれは季節を空間に、四角のカードの中に押し込めちゃっていくセンスですよね。あのセンスが『源氏物語』の光源氏の行動パターンの空間性にもあらわれている。それで空間が、いまおっしゃったように中央を中心とする四分割というのが非常に強いものになって、東北へ行っても花札をやることになっちゃうんじゃないか(笑)。》
《それから少し後の時代ですけど、天皇の即位礼が、変わってきますね。密教のやり方を取り入れるようになって。それまでは、即位儀礼では天皇霊天皇がつけておりますけれども、後になると密教のやり方を使って四海掌握という考えが出てくる。国土を密教印で掌握するという儀式をするようになる。天皇霊をつけた後に密教のお坊さんがやってきて、天皇密教の袈裟を着て、山川草木、この国土を掌握するという印を結ぶ儀式をやってるんですね。あれは天皇霊を時間の中で持続させていくというんじゃなくて、国土が空間として意識されて、空間を密教の儀式で表現するようなことが発生しているんじゃないか。ここでも空間をミニチュアのようにして取り込んでいくことが行われている。女性を空間の中に取り込むというのは、采女田を国土の中に配置していくという発想に深いところではつながっているように思います。だから国家の概念もそのころ空間化してるんじゃないのかな。時間意識が強い『法華経』的なものと違って密教はとにかくいろんなものを視覚化する、空間的にとらえるという側面を非常に強く出してきますからね。》